それを選んだのは、過去の自分。





全てが己の選択の結果で。

全ては自身の責任で。






それでも確かにそこにある現実を
 受け止めきれないでいるのは、今の自分。






  過去の英雄 未来の英雄 ・2



「眠れない?」
 本来は無人のはずの部屋なので、残念ながら当然の如くティーセットも水差しすらもない。
 お茶でも飲みながらゆっくり、とはいかない状況だが、幸い掃除はしてくれているようだったので、ラディはその部屋唯一の椅子を少年に勧め、自分は寝台に腰を下ろした。
 が、少年は部屋の扉付近で突っ立ったまま動こうとしない。
「ん?椅子じゃなくてこっちのがいい?」
 確かにスプリングのきいた寝台の方が固い椅子よりは座り心地は良いだろう。
 ラディが立ち上がろうとすると、慌てたような少年の制止がかかった。
「ああああ、いえ、そーゆーわけじゃないです、すみません」
 言いながらヤトはとてとてと部屋の中に入って椅子の前、ラディの正面で止まり、唐突に頭を下げた。
 咄嗟のことに言葉が出せないでいるラディに、頭を下げたままでヤトが畳み掛ける。

「今更ながらですが。昼間は本当にありがとうございました!ぼくたちだけじゃ、ラディさんがいなかったらコウくんを助けられたか分からないし、ぼくらだって無事でいたかも分かりません。しかもコウくんを立派なお医者様に診てもらえるように計らってもらったり、一晩の寝る場所どころかあんなおいしい夕食まで用意してもらって。本当に、感謝してもしてもし足りません!ありがとうございます!!」

 ほぼ一息で言い切ったヤトは、やはり頭を下げたまま、肩を上下させて息を切らせている。
 呆気に取られてぽかんとしていたラディは、何がおかしかったのか、次第に肩を小刻みに震えさせ、くすくすと笑い出した。
 今度はヤトが困惑する番だった。
 何かおかしなこと言っただろうか、と内心で首を傾げているのが顔に出たのか、笑いながらもラディがとりあえず座ってと椅子を指し示す。
 おとなしく従うと、何故か笑い方が大きくなったような気がして更に首を傾げる。
「・・・ご、ごめんごめん。あんまりにも素直だから、ちょっと」
 直球なんだね、とヤトに訳の分からないことを呟いたこの屋敷の主は、しばらくこみ上げる笑いと格闘していたようだが、ようやく納まると深く息を吐き出した。
「はぁ・・・ごめん、ちょっと失礼だったね」
「・・・・・・いえ」
「あー、それで。眠れないんだっけ?」
「・・・はい」
 食べ過ぎで、とは何故か言えずもごもごと口ごもる。
「食べ過ぎた?」
「・・・・・・・・・」
「・・・ぶっ、ごめん。まさかあれ全部食べてくれるとは・・・思ったけど、やっぱりやりすぎだったかな」
 ごめんね、と笑いを噛み殺したような表情でのたまう“英雄”。
 確信犯かよ、とヤトは思わず頬が引き攣るのを感じたが、許されると思う。
 引き攣る頬を隠すために俯いたヤトの頭に、今度は一変、どこか困惑したような声がかけられた。
「昼間といえば、君が倒れた原因だけど・・・」
「あのモンスターの毒のせい、ですよね?」
 なんで自分だけ、とは思うのだが。
「いや違う。・・・そんな風に思ってたの?」
 え?と目を丸くして正直に驚くヤトを、困惑気味に見つめる茶色の瞳。
「紋章の・・・せいだ、多分」
 さっと表情を硬くして、さりげなく右手を隠す仕草をしたヤトにやんわりと微笑いかけ、ラディは自分の右手の手袋を取り去った。
 現れた右手の痣に、ヤトは息を呑む。
 痣ではない。紋章・・・真の紋章。
 見ただけでそれが真の紋章だと分かるのは、何故か分からない。
 だけど分かる。分かってしまう。
 トランの英雄は、真の紋章の継承者。
 それは、いくつもの脚色された話の中でいくつか耳にしたことではあったけど、まさかそこまではないだろう、と完全に作り話だと思っていた。
「・・・作り話だと、思ってた?」
「あ・・・・・・は、い・・・すみません」
「謝ることじゃないよ。まあ仕方ないのかな。あの戦争には、直接関わりがあったわけじゃないから、これ」
「そう、なんですか?」
「うん」
 言いながら右手の甲を撫でる手つきは、とても優しい。
 大切なものなのだろうか・・・
 成り行きで紋章を手にしたヤトとは、大分違うようだ。
「それで、まぁ、今はこっちのことはいいんだけど。これは真の紋章でね。君の右手にあるのも、真のっぽいけど、なんだか気配が微妙?」
「あぁ、それは、片割れだから・・・だと思います」
「片割れ?」
「真の紋章が、元々ひとつだったのがふたつに分かれたらしくて。その片割れなんです」
「・・・ふぅん。それで、かな」
「え?」
「うん、だから安定してないって言うのかな。昼間、俺の右手と同調?共鳴?みたいなの起こしてモンスター倒したのは覚えてる?あれが何だったかは俺も専門じゃないから、詳しくは分からないけど。・・・君が倒れたのはそれのせいだ」
「・・・え?」
 困惑するばかりのヤトに、ラディは眉間に皺を寄せて呟く。

「何度も起こるようだと、危ないよ・・・君の、命が」

 今度こそ、ヤトは完全に息を止めて、目の前の茶色の瞳を凝視した。
 今、何を言われた。
 命が危ない、と。
 それは片割れだから?
 片割れ・・・
「ま、待ってください。じゃあ、もうひとつの片割れを宿してる方にも、同じことが・・・言える?」
「・・・・・・確実にとは言えないけど、もしもあのような力の使い方をしているのだとしたら、多分」
「あのような・・・って?」
「暴走、に近い形で。突然、紋章の制御が利かなくなって力が溢れ出るような感覚・・・て言うのかな。ともかくそんな感じ。・・・・・・仲間に紋章に詳しい人はいないの?」
 言われてパッと思い浮かべたのは、いつも石版の前で眠そうに突っ立ってる無愛想魔人だった。
「いるのなら、君のその紋章についてとか色々、聞いてみるといい」
 俺はそれで無理矢理聞き出してちょっと紋章の勉強にも付き合ってもらったよ、と肩を竦めて言うラディの知識の豊富さは、その詳しい人の知識でもあるのだろう、と予測をつける。
 まさかそれが、ヤトがたった今思い浮かべた無愛想魔人その人だとまでは予想できるわけがない。
「・・・ごめん。困らせるつもりはなかったんだけど、気付いてないみたいだったから。知っておいた方がいいと思って。お節介、だったかな」
「そんな!とんでもない!教えてもらって助かりました」
「そっか、なら良かった。だから気をつけてね・・・って言うしかないんだけど」
 苦笑を漏らして頭を掻くその姿は、外見年齢相応の少年にしか見えない。
 三年前、トラン解放戦争の折に英雄は十五、六の少年だったと聞く。
 今、ヤトの目の前で笑う“英雄”の姿も、どう多く見積もっても十五、六。
 真の紋章は、その宿主に不老の呪いを与えるという。
 つまりこれは・・・そうゆう、こと、なのだろう。
 ヤトの右手に宿る紋章も、真の紋章ではあるが、片割れの言ってしまえば出来損ないのようなものだから、不老になっているとかそんな様子は今のところない。
 順調に成長期の少年らしい成長を見せている。
 ふと唐突に、ヤトは聞きたいことがあることに気が付いた。
 いきなり不躾だろうか、でも・・・
「あの、ラディさん・・・」
「なに?」

「あなたは、何故、大勢の人を率いて戦おうと思ったんですか?」

 今度固まったのは、ラディだった。
 唐突と言えば唐突な質問を投げかけて来た少年は、俯いていて表情が窺えない。
 何故・・・と問われたことは、過去に数えきれないほどある。
 それらに返した答えは確かに真実ではあったけれど、ありきたりなものばかりで。
 俯いた少年が求めているのはきっと、そんなものではないのだろうとアタリをつけたラディは、深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
 目の前で俯く少年は、かつての自分の姿を彷彿とさせる。
 本当の、本音を語ろう。

「親友が・・・帝国に捕らえられた。それを、助け出すために」

「・・・え?」
 驚くのも無理はない。
 そんな答えは、歴史書のどこにも載っていないだろう。きっとこの先も、遺されることはない。歴史の裏に隠された、本当の真実。
「この紋章、直接の関わりはないって言ったけど、間接的には関係しまくりでね。元は親友が持ってたものだったんだ。紋章を狙う魔女がいてずっと逃げ続けてたって、言ってたな。その魔女が、あろうことか赤月帝国の皇帝陛下の寵愛を受けて王城にいた。グレッグミンスターにね。親友は、あいつも俺の父親に拾われて来てグレッグミンスターにいたんだ。三年くらい」
 そんなにも気付かないもんなのかね、と苦笑したラディを、ヤトは黙って見つめ続ける。
 真顔で話を聞くばかりの少年は、何を思っているのか・・・
「だけどちょっとしたことで気付かれて、逃げられなくなった・・・いや違う、あいつはきっと一人だったら逃げられたんだ。だけど、一緒にいた俺たちを守ろうとして結局、俺に紋章を預けて、囮になって俺たちだけを逃がして、帝国に捕まった。解放軍のリーダーになったのなんて成り行き任せの流れ任せだったんだよ実は。最初は反乱軍だったし。躊躇はしたんだけど、他に行く場所も当てもなくて。帝国の姿勢がおかしいって思ってたのも、そりゃあったけどね。だから色々思ってることも嘘じゃなかったけど、本音は・・・」
 ふと俯いて、左手で右手を握り込む。
 助けたかった。
 魔女の手から。
 紋章の呪縛から。
 長年抱えてきた、孤独の闇から。
 救い出したいと伸ばした腕は、願いに届かず虚空を掴んで行き場を失くした。
「本音は、守りたいものほっとんど失くしたから。じゃあ平和な国くらい望んで掴み取ったっていいんじゃねぇ?・・・と、思ったわけで」
 弱々しく首を振って顔を上げた先には、やはり真顔の少年の顔があって。
「そんな、わけで。大した理由もなかったんだ。なんだか世間は大々的に吹聴してくれてるみたいだけどね。・・・・・・ごめんね、こんな理由で」
「そんっ、な。そんなこと、ないです!・・・・・・逆に、安心しました」
 言葉通りに安堵の表情で、ヤトは詰めていた息を吐き出した。
 すごい人だと思った。
 自分と変わらない歳で、一軍をしっかりと纏め上げてそして一国を救った少年。
 けど、彼がたった今語ってくれたのは、ありのままの少年の姿。
 国ではなく、守りたいものがあって。
 確かな信念を持って軍主になったわけではなく。
 色んなものが手の中から零れ落ちていってしまう、己の無力さが・・・
「すみません、こんなこと言って・・・不愉快かもしれませんけど、でも、ぼくも似たような、感じで」
「ヤト君の、理由も聞いていい?」
 静かにかけられたその問いに、ヤトはこくりと頷いてから口を開いた。

「幼馴染を・・・紋章の片割れを宿して敵軍に行ってしまった幼馴染を、取り戻したいんです」








坊さんは色々ちょっと投げやりな時期。
2010.4.1


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