取り戻したいものがあった



  願いは ただ それだけ ――――






  過去の英雄 未来の英雄 ・3



 静かな部屋に、少年たちの呟きだけがひそやかに流れている。
「ぼくは元はハイランド皇国の片隅の小さな町で暮らす田舎者だったんです」
「ハイランド、って言うと今まさに同盟軍と敵対してる・・・」
「はい。だけどぼく自身は孤児で、正確な出身も分からないような身なので、あまり皇国への思い入れとか忠誠とかなかったのが・・・良かったのかは分かりませんけど。最初のきっかけは、所属してた少年隊が奇襲を受けて全滅した時でした。犯人はジョウストン都市同盟だって言われてますけど、本当は皇国のルカ・ブライトの仕業だったんです。ぼくと幼馴染のジョウイだけが何とか逃げ出して、助けてくれたのが都市同盟に雇われてた傭兵たちでした」
「親切な傭兵もいたもんだね」
「はい」
 いちいち入るラディの茶々にも、嫌な顔ひとつせず律義に答えるヤトは、傍から見ても本当に素直な良い子だ。
「ビクトールさんは見た目熊みたいですけど実はすごく良い人だし、フリックさんも」
「ちょっと待った」
「へ?」
「誰と誰って・・・言った?」
「熊みたいなビクトールさんと、青のフリックさん」
 悪気なく言い放ったヤトに、他意はない。微塵も。
 にっこりと満面笑顔のヤトの前で、やや俯いたラディの顔も笑顔だったが、ヤトの笑顔と比べると、どことなく何かが黒い。
 生きてたんだあの熊青コンビ、と小さく呟いた言葉は幸いなことにヤトの耳にまで届かなかった。
 ・・・ん?都市同盟の雇われ傭兵、と言ったか?
 何やってんだあの二人。
「ラディさん?大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、ごめん。何でもないよ。それで傭兵たちに助けられて同盟軍に?」
 不自然に取り繕ったラディに気が付かなかったのか、促されるままにヤトが続ける。
「えー・・・と。そうですね。結果的にはそうなっちゃいました。ハイランド軍に焼き討ちされた村をいくつも見て、何人も何人も助けることが出来なくて。助けてくれた傭兵たちの砦も攻撃されて焼け落ちて、同盟軍の盟主のいるミューズに逃げ込んで、そこで頼まれてハイランド軍の駐屯地にスパイ紛いのことをしに行ったら案の定見つかって、ジョウイが囮になってぼくだけを逃がしてくれて・・・」
「そこで彼は捕まってハイランドに戻ったの?」
「・・・・・・いえ。その後ミューズに戻って来ました。だけど、だけど今思えば、あの時からどこかおかしかった。ぼくが気付いてさえいれば。ジョウイは何か言いたそうにしてたのに。ぼくは気付けたはずなのに。ハイランドの酷い仕打ちを知れば知るほど許せないって思う自分のことに一杯一杯で、いつも隣にいたジョウイの出してた小さなサインに全然気付けなかったんです・・・っ」
 堪えられなくなったのか、ずびびと鼻を啜ると、ヤトはぽつりぽつりとその後に起きたことを羅列していった。
 ジョウイがミューズ市長を暗殺したこと。
 ミューズまでも追われてデュナン湖を渡り。
 ノースウィンドウの城を手に入れて。
 軍師を探し出してそこで正式に同盟軍の軍主になったこと。
 ハイランド軍に勝つためには、バラバラになっている同盟軍を再びひとつにする必要があると、各地の同盟都市を行ったり来たり。
 ジョウイはハイランドで何故か皇女様と婚約したとか言いやがるし。
 トラン共和国と同盟を結べたのは僥倖であったかもしれないが。
 そして、全ての元凶であるはずのルカ・ブライトをつい数日前に討ち果たした。
「・・・だけど、まだ終わらないんですよね。ハイランドと和睦するのが、一番平和的な解決策だと思うんです。でも、人ってそんなに簡単に受け入れることなんか、出来ないと・・・思うのは、ぼくがそう思ってしまっているからなんでしょうか」
「ハイランドが許せない?憎かったのはルカ・ブライトだけじゃなかったの?」
「・・・・・・・・・分からないんです。ぼくは、ぼくが許せないから憎いからハイランドと戦ってるのか、それともそんな想いは実はぼくのものじゃなくて、故郷を焼かれた仲間たちの想いに影響されてそう思ってしまってるのか。こんなこと言ったら責任転嫁もいいとこだって思われるかもしれないですけど・・・・・・なんか、もう、分からなく・・・なっちゃったんです・・・」
 尻すぼみになった言葉は、けれどしっかりと最後までラディの耳に届いた。
 項垂れて膝の上で握り込んだ拳の上にぽたぽたと落ちる雫は、少年の肩の動きと共に止めどなく落ち続ける。
 しゃくりあげる少年の声だけが、静かな部屋の中に響く。
 しばらくその声だけが部屋の中を支配した後に、ぽつりと小さな呟きが落ちた。
「これは俺の独り言だけど・・・」
 ふいの呟きに思わず顔を上げたヤトの視線の先には、天井を仰ぐ英雄の姿。

「悩めばいい」
 人は時に、間違うものだ。
「迷えばいい」
 間違った道を修正する力を、人は必ず持っているから。
「悩んで悩んで、迷って迷って、考えて・・・それでもどうしても前に進めないと思ったら」
 暗闇の中で躓いて、立ち上がれなくなることだってあるだろう。
 そうしたらその時は

「周りをよく見てみるといい。必ずそこには、仲間がいる」

 ふっと目を細めて視線を降ろしたラディは、目を丸くして固まるヤトの顔を正面から見つめて微笑んだ。
「俺の、体験談だよ。ただの」
 以上、独り言終了〜と明るく言い放ったラディは、勢いをつけて立ち上がった。
「さてと。そろそろ夜も深まっていい時間だし、もう寝ようか。あ、ヤト君眠れないんだっけ。寝れる?」
 突然すぎる切り替えの速さについていき損なったヤトは、しぱしぱと瞬きをして数拍置いてから同じく立ち上がった。
「寝れ・・・なくはないと思いますけど、がんばります」
「そう?がんばってね」
 またも何がおかしいのか、ヤトの反応にラディは笑いを隠そうともしない。
 そのまま部屋を出て行こうとする背中を目で追っていたヤトの視線は、部屋の片隅にある棚の上に飾られた一枚の絵に吸い寄せられた。
 明るい茶色の髪の毛が、絵の中で明るく輝く。
 こちらに向けられた、少年の屈託のない満面の笑顔。
 唐突に、この部屋に入る直前に聞こえてしまった弱々しい悪態を思い出す。
 誰に向けて言ったのだか分からない、悪態とも言えない悪態。
 その後、彼の親友の話を聞いた。
 結局助け出せたのかは聞いていない。
 けど、守りたいものをほとんど失くしたと言っていた。
 見ようによっては、遺影・・・と捉えられなくもない。
 ヤトの守りたいものは、義姉と幼馴染。
 一人は手の届かないところで、でも確かに今も生きて息をしているはずで。
「っ・・・ラディ、さん!」
 衝動のままに立ち去ろうとしていた背中に声をかけてしまったけれど、続ける言葉に詰まって、口を開けたまま固まってしまった。
 扉に手をかけたラディは半身を振り向けて、間抜けな顔で固まっているヤトにきょとんと首を傾げている。
「あ・・・あー、うー・・・・・・考えを・・・一晩でまとめて、明日また改めて言いたいと思います。言わせてください。すみません・・・」
 ガクリと下げた頭の上から、これで何度目か分からないくすくす笑いが降ってきた。

「ゆっくり考えていいよ。・・・しばらく、グレッグミンスターにいるつもりだから」

 だからちゃんと考えた君の言葉で聞かせて、と言い残して暗い廊下に消えた背中を、ヤトはぽかんと間抜け面のままで見送った。

 つまりどうゆうことでしょう・・・?
 ちゃんと考えた、ぼくの、言葉、で・・・

 交わした会話を頭の中でゆっくりと反芻する。
 ひとり取り残された部屋の真ん中に立ち尽くしているわけだが、その辺りは気にしない。
 ぐるぐると、彼の言葉が回る。
 一晩も待つことなく、最初の結論は呆気なく導き出されたのだが、あまりにも自分勝手すぎるのではないかと躊躇する。
 絵の中の笑顔に向かって、一人、呟く。
「ラディさんの親友さん・・・彼を、三年ぶりに祖国に戻って来たという彼を、また連れ出してしまうことを、許してもらえますか・・・・・・」
 名も知らぬ彼の親友の影から、返る言葉は、あるはずがなかった。



++++

 翌朝。朝一番の大広間で。
 明るい外の空気に負けず劣らずな大音声が響き渡った。

「おはようございます、ラディさん!ぼくに力を貸してください!!」

 どう頑張って考え込んでも、結局、直球勝負に出てしまうヤト少年。
 ほとんど直角に近い角度まで体を曲げて、頭を下げている。
 周囲の反応は、どれもほぼ同じようなものだった。
 いわく、いきなり何言い出してんだこいつ、である。
 ただ一人、直球を向けられた先の本人だけは、笑いを噛み殺しきれずにくつくつと喉の奥で笑っている。
 笑っているが、目だけは真剣にヤトの頭頂部を凝視している。
「坊ちゃん・・・」
 ラディの隣で固まっていたクレオが、我に返って気遣わしげな声をかけた。
 その意味を正確に汲み取ったラディは、黙っているようにと手の動きだけでクレオが続けようとした言葉の先を制止した。
「・・・・・・」
 見つめる先の小さな主の横顔が、かつての戦時下で垣間見せていた真剣なものと同様のそれだと気付き、クレオは静かに目を伏せた。
 止めても聞かない顔だ。
 きっと彼の中では、すでに何らかの結論が出されていて
 そこに誰が何を言っても、彼の意見が覆されることはない。

 くつくつと笑うだけのラディに、ヤトは頭を下げたまま言い募る。
「戦争に関わってくれとは言いません。同盟軍に参加してくれとも言いません。ただ・・・個人的に、ぼくの手助けをしてほしいんです」
「手助け?」
 首を傾げて言葉を鸚鵡返しにしたラディへ、頭を上げたヤトは今度はしっかりと自分を見据える茶色の瞳を強く見返して言葉を続けた。
「ぼくは、未熟者です。まだまだ、何もかもが足りない。だけど、軍主であるぼくがいつまでもぐずぐずと未熟なままじゃいけないってことは分かるのに、そこからどうしていいかがずっと分からなかったんです」
「早い話が、経験者に教えを乞おうと?」
「はい。自分勝手なぼくのわがままだとは百も承知です。だけど、けど・・・」
 そこで一度言葉を切って、やや逡巡した後に、ヤトは本当の本音をぶつけた。
「取り戻したいものがあります。この手で、守りたいものがあります。それ以上に、ぼくは今の自分から逃げ出したくはない」
 取り戻したいものは、敵軍に。
 守りたいものは、今も自分の隣に。
 両方を実現するのが、困難だということは承知している。
 それでも、過去も今も未来も、諦めたくはない。
 手放したりなんかしたくない。
 万に一つでも可能性があるのなら、砂漠の中の一粒だって探し出してみせる。

「確かに、君の言葉だね」
 ふわりと茶色の瞳が和らいだ。
 緊張で顔を強張らせていたヤトは事態についていけず、思わずぽかんと口が半開きになる。
 それを見たラディは、今度こそ笑みを顔全体に広げて目の前の少年の顔を覗き込み、優雅に見事な貴族の一礼をしてみせた。
「同盟軍軍主ヤト殿の、お望みの通りに。私、ラディ・マクドールは貴殿のお力になると約束いたしましょう」




 その瞬間。

 過去の英雄と、未来の英雄の、(みち)が、重なり合った。








坊さんは軍主経験を経てちょっと?ひん曲がって
2主は真っ直ぐ直球勝負だけど何かがズレた良い子です
…て感じになってればいいなぁ、と。
2010.4.15


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