何の前触れもなく、本当にまったく全然微塵も前触れなく、
ふと気付いたら焚火を挟んだ目の前に座り込んでいたのは、



確かにかつて自分の腕の中で息を引き取ったはずの親友だった ――――








 ただ目を見開いてお互いを凝視する二人の間では、ぱちぱちと弾ける焚火の音だけがやたら大きく響いている。
 これは一体どういうことだろう。何が起こっているんだ。
 誰か分かるように説明してほしい。
 しかしこんな事態を分かり易く説明してくれそうな親切な知り合いも博識な知人も、今は近くにいないことは明確で。しかも彼らにもこれは解説困難ではなかろうかという状況。
 つい先日までの軍主時代に培った臨機応変スキルすら、最早この事態には活かしきれていない。
 大きく見開いた茶色の瞳を深呼吸と共にゆっくりと数度瞬いてから、ラディは恐る恐る、本当に心の底から恐る恐る、小さくその名を呟いた。

「テッ・・・ド・・・?」

 久方ぶりに口にした大切な名前は、掠れてまともに発音出来ていなかったが、どうやら目の前で未だに固まっている相手には通じたらしい。
 ハッと我に返ったように小さく肩が跳ねて、懐かしい金茶色の瞳が忙しく瞬いた。
 驚いたようにきょろきょろと首を動かして周囲を見回す仕草も、瞳と同じ金茶色の髪の毛が揺れる様子も、彼の存在そのもの全てが懐かしい。
 永遠に失われたはずの存在だった。
 もう二度と、その声も聞けることはないと・・・

「ラディ・・・?」

 その声で再び、名前を呼んでもらうことがあるなど考えもしなかった。
 己の願望が見せている幻か、はたまたまどろみが見せる夢かと疑いかけたが、それにしては焚火の向こうの存在感がありすぎる。
 どう考えたって実物。実体。生身の身体。
 けれどそれだけはいくらなんでも有り得ないだろうと、頭の奥にある冷静な部分の理性が訴える。
 だって彼は死んだのだ。
 ラディの目の前で。もっと言うなら、ラディの腕の中で。
 切れ切れに必死に吐き出された最期の言葉。荒く細くなっていく頼りない呼吸のひとつひとつ。強く握った手の中で、ゆっくりと失われていく体温。
 あの時の情景全て、何一つとして忘れたことはない。
 どれもが酷く未だに己の心の奥底に突き刺さって抜けない棘となっているのに。
「嘘だ」
 するりと口をついて出たのは、そんな言葉だった。
 小首を傾げて怪訝そうに眇められる金茶色が、常に近くにある見慣れたものであったはずなのに、今は何故か遠い。
「嘘だよ。だってテッドはいない。もうどこにも。いるはずない。そんなはずない。だって、だって・・・っ、」
 吐き出そうとした言葉は声にならずに喉の奥で詰まった。
 右手を強く握り締めたのは無意識だ。ぎゅぎゅうと手袋ごと頭から被ったマントの裾を握り締める。縋るものはそれしかないとばかりに。
 焚火越しに照らし出される親友は、とても見覚えのある困ったような苦笑を浮かべて首を傾けた。
「うん、そうだな。おれもまさかもう一度お前と会えるとは思ってもみなかった。確か死んだんだよなぁ、おれ・・・。よく分かんないことになってるみたいだけどさ、とりあえずラディ・・・、泣くなよ」
 静かに指摘されて初めて、ラディは自分の目から次々と零れ落ちている雫に気付いた。
 慌ててごしごしと目元を擦るものの、何故か意思に反して次から次へと新たな雫が流れ落ちる。
 こんな情けない再会はない、と思わずむきになって何とかしようとすればするほど涙は落ちてくるし、挙句の果てには嗚咽まで漏れる始末。
 軍主という重荷が肩から降りたために、感情の制御が不安定になっているのは数日ほど前から自分で気付いていた。些細なことを思い出しては気分が沈んだり滅入ったりと、最近はすっかり後ろ向きなことばかりだ。
 こんなことではダメだと思うものの、一度外れた感情の箍はそう簡単に戻ってくれはしなかった。
「ラディ・・・、ラディ?」
 不安そうに少し控えめに自分の名を呼んでくるのは、永遠に失ったはずの生涯唯一の親友。
 焚火を回り込んできて、そっと傍らへ寄り添うように並ぶ気配に、ますます涙は零れ、声が詰まる。逃げ出すようにして独り、故郷を離れたラディが焦がれて焦がれてやまなかったものが、今まさに傍らにある。

 何度願っただろう。
 何度思っただろう。

 どうしようもないくらいもう一度だけ傍にと望んだのは、育て親代わりの青年でも幼い頃から共に過ごした青年でもなく、まして実の父親でもない。
 望んだのは、ある日ひょこりと父親が連れ帰ってきた、戦災孤児だという触れ込みの少年。

 ラディ自身、何故そんなに彼に懐くことが出来たのかさっぱり分からない。ただ最初から、彼に対してはいつもの人見知りが発揮されなかった。だから自分は彼に心底懐いたし、彼も最初は頑なだった心をいつしか許してくれるようになっていた。
 お互いに笑い合い、親友と認め合って。

「・・・・・・テッド」
 呆然と名を呼ぶ。
「うん」
 穏やかに応える声がひとつ。
「・・・テッド」
 嗚咽混じりに再度呼んでみる。
「なんだ、ラディ」
 変わらず応えてくれる声は、限りなく穏やかに優しい。





 何が起こったのかなんて、もうどうでもよくなっていた。
 ただ、君がいて、傍らで笑う。

 たったそれだけで、己を取り巻く世界が鮮やかに色を変えた。








2011.10.16


復活TOPNEXT>

Please do not reproduce without prior permission.