英 雄 邂 逅 ・4



 逃げ出して避け続けた生まれ故郷の土を踏んで、感慨でも浮かぶかなと思っていたけど、やっぱり何の感情も湧いてはこなかった。
 いや、面倒くさい、という感情(?)はありはしたが。
 さすがに一国の名医を早急に呼び出すのであれば、これは自分が直接顔を出すのが手っ取り早い方法であると、不本意ながら自覚してはいたので観念してグレッグミンスターの城門をくぐった。
 そもそも、峠道を抜けた先の国境で逃げ出すことは不可能と知れた。
 まさか元山賊のお頭が、国境警備なんかしてるなどとは夢にも思わない。
 そんなこんなで、国境でとっ掴まってそのまま連行された、というのが一番正しい表現だったりする。
「お縄にかけられないだけ、まだマシだと思えばいいのかなー・・・」
「何を言いますか。あんたがおとなしくしてくれてれば、俺が張り付いてまで連れて来るなんてことはなかったんですよ」
「あぁ、そっか・・・あそこで無駄な努力をしたのが間違いだったんだね・・・」
 国境にそびえる頑強そうな壁の前に立つ人物の顔を見た途端、逃げの体勢に入った自分の身体は、ある意味とても己に正直だと言えた。
 しかし不運だったのは、毒で倒れて目覚めない小さな少年を背負っていたことだった。
 普段よりも落ちたスピードと反応では、男の手を掻い潜って逃げ出せるわけもなく、あっさり掴まってここに至る。

「それにしてもだな。元気そうで良かったぜ、ラディ坊!」
 快活な声と同時に、頭に大きな手が乗せられてこれでもかと揺すられた。
 この三年でちゃんとしたお勤め口調が身に付いたのかと感心していたのも束の間、砕けた口調に戻られては苦笑するしかない。元々おおらかな山賊だったし、軍主になる前の自分の姿を知っている数少ない人物だったので、口調や態度を改められることを拒んだのはまだ有効らしかった。
「ば、バルカス、こそ・・・ああぁ、相変わらずでー・・・」
 脳みそ揺すられる。
 さすが斧使い。
 馬鹿力のレベルが違う。
 首もげたらどうしよう・・・
「まったく薄情な奴だよな。いきなり消えちまうなんてよ」
「・・・悪かったよ」
「思ってもいねぇことを口にすんじゃねえ。まあ、ガキどもが気付いてたってのには驚いたがな。餞別も渡せて満足って顔してたガキども目の前にマヌケな面した大人どもが並ぶ様は見物だったぜぇー」
「あっはは。それはそれは・・・」
 ちらりと隣の少年に視線を向ける。
 呆れた顔を向けていた少年は、目が合うと同時に顔を逸らした。
 なんとも楽しい反応をしてくれる。
「その楽しい光景、君も目撃したのかな、フッチ?」
「・・・・・・・・・」
「おう!自慢げにガキどもに混ざってたぜ。そういやお前は何やったんだ?」
「・・・・・・・・・」
「ん?フッチはねぇ、手紙が。素っ気無かったけど、かわいらし」
「うわああぁぁぁ!!やめろラディーー!!!」
 赤くなって口を塞ぎにかかってくる少年を難なくかわす。
 本人にしてみれば、とんだ羞恥プレイといったところか。
 きっと、運良く再会できるとすればもっと大人になってから、とでも思っていたのだろうし、実際自分もそんな心積もりでいたのは確かだ。
 まさかたったの三年で感動の再会を果たせるとは、誰が予想できただろう。
「いやいやぁ。人生、何が起こるか分からなくって楽しいねぇ」
「・・・・・・・・・・・・消えたぃ・・・」
 両手で顔を覆ってメソメソとやり出しそうな少年には、感謝の気持ちもある。
 三年前、戦争の終結と同時に夜陰に乗じてグレッグミンスターから抜け出そうとした自分に気が付いていながらも引き止めることはせず、急拵えだったであろう簡単な品々を持たせて見送ってくれた、優しい仲間たち。
 バルカスが「ガキども」と称したのは、その逃亡に気が付いていたほぼ全員が何故か十代の子供たちだったから。
 お見通しだと言われたから、年の近かった彼らには何か感じるものがあったということだろうか。勘付かれるような行動を取っていたつもりはないし、実際、引き止めそうな大人たちには全く気付かれていなかったのだから、やはりお見通しだったということだろう。
「感謝してるんだよ。引き止められなかったことに、ね。ありがと」
「ラディ・・・」
 和やかになりかけた雰囲気は、次に響いた男の声で台無しになった。

「私も感謝しますよ。貴方が戻って来られたことに」

 うわぁ来た・・・
 なんだか一気にテンションが下がった心地が。
 これが嫌で故郷の土を踏みたくなかったのかもしれない。

 謁見の間。
 かつて、黄金皇帝と讃えられた偉大な人の座っていた椅子の前に、喜びに溢れた顔の男が立っていた。
 大体、言われそうなことは分かっている。
 あとは長時間、耐えるだけ。


++

 これが“英雄”と呼ばれる存在 ――――
 その光景を目の当たりにして、ただただ圧倒されるばかりで。
 国境での遣り取りには呆れ返って物も言えなかったのが正直なところだったけど、首都へ足を踏み入れた瞬間に、その認識を改めた。

 道行く人の誰もが、彼の姿を目にするや歓喜の声を上げる。

 三年・・・
 誰の記憶にもまだ、彼の姿が鮮烈に残っているのだと、部外者だからこそそれが肌で感じられた。
 あまりにも強い熱に当てられて、目の前が暗くなる。

 きっとぼくなんかでは、こんな風にいかない・・・・・・

 つい先日、敵対する勢力を統率していた絶対支配者を倒したばかりのぼくのことを、一部の気の早い人たちが『英雄』と呼んでいるのを聞いてしまったけど。
 分からない。
 何をしたら『英雄』なのか・・・
 ぼくはただ、狂皇子と称されていた人間を殺しただけ。
 夜襲を不意打ちで迎え、圧倒的な人数差で圧し、弱った一人の人間をよってたかって叩きのめしたのが真実で。

 ―――― それで『英雄』か?

 謁見の間。
 ここには一度訪れたことがある。
 トランとの同盟を申し入れに来たときに、同盟軍の軍主として。
 毒で意識を失った少年を医務室に預けた後、しばらくお待ちになっていて下さいと通されたのが何故かここだった。
 理由はあとから知れる。
 そりゃ、自国の英雄が三年の行方不明の果てにひょっこりと顔を出せばな。
 彼を待ち望んでいたのは、街の人々だけではなかったということだ。
 完全に部外者の、ぼくとナナミ、トモ、ムクムクは、一緒に謁見の間にまで通されて肩身の狭い思いをするしかない。
 医務室に居させてもらえればそれで良かったんですが。
 フッチの絶叫、という珍しいもんを見れてそれはそれで面白かったけど。
 そういえば“英雄”である彼が周囲に黙って行方を眩ませた理由は、何だったのだろう・・・・・・
 部屋の空気が変わった。
 存在感のある体躯いっぱいで歓喜の感情を表したトランの大統領。
 それに対して、何故かさりげなく視線を逸らす“英雄”。
「?」
 掴みどころのなさはここでも健在か、と思いきや、仁王立ちする大統領様は彼のそんな様子に気が付くことなく、一人でとっとと話を進めていった。

 大統領の椅子を、あっさりと譲る男
 それをこちらも、あっさり淡々と断る“英雄”

 今、目の前で繰り広げられているこれは、下手すりゃ国家機密レベルの問題とかじゃないんですか、もしや・・・
 居た堪れなくなってうろうろと視線を彷徨わせるも、広い部屋に集まった人間の視線は全て“英雄”の細い背中に集中していて、ここでもまた何だか思い知らされる。
 これぞまさしく、格の違いってやつでしょうか。

「ヤト殿」
「へぁ、はい!?」
 物思いに沈みかけたところで名前を呼ばれて、うっかり気の抜けた声が。
 やっちまったー・・・
「お見苦しいところを見せてしまい申し訳ない。あの少年のことは今宵一晩、責任を持ってこちらで預からせていただくので、貴殿らも今夜はこの城で」
「あぁいいよ。彼らはまとめて俺の家にご招待するから」
 どっちもどっちです!・・・・・・とは言えない。
 宿を勝手に取りますからどうぞお気になさらず、と言いたいのに、突き刺さる空気が痛い。  真横から送られる、ナナミの期待に満ちた視線も痛いことながら。
「・・・・・・・・・はい。よろしくお願いいたします・・・」

 力なく、項垂れながら頷くしかなかった・・・



++++

 記憶に馴染んだ道を辿る。
 同じ道を通った最後の記憶は、クレオと二人。
 今は、賑やかに五人と一匹。
 道行く人のほぼ全員に声をかけられて歩くので、あまり進まないのが難点といえば難点か。
「あぁあ・・・バンダナ外しとけば良かった」
 不思議なことに、それだけで自分だと気付かれる確率が激減するのだ。
 どんだけ目印として定着しているのか。
 恐るべし、バンダナマジック。
「でもすごいですね!街の人全員と知り合いみたい!」
 無邪気にそう言う少女は、好奇心が隠し切れない様子でキョロキョロと周囲を見回している。
「ナナミさんは、グレッグミンスター初めて?」
「はい!前の時はヤトが連れて来てくれなかったから。すごい綺麗な街!」
「三年の復興作業の末、かな」
 解放戦争直後は、戦火の傷跡が生々しかった。
 今はもう見る影もないのは、街の人々の努力の賜物というやつだ。
 そこに自分は何一つ貢献していないというのに、本当に予想通りのことしか言わなかった大統領には笑うしかない。納得して国を出たのだ。あの椅子に座ることなど、今後、何が起ころうとも有り得るわけがない。

「さてと。はい、お疲れ様。着いたよ」
 門扉を見上げて振り向けば、背後の子供たちはポカンと口を開けて固まっていた。
 ん?何かまずいことした?
「ラディって・・・ほんっとに、お貴族さまだった・・・んですね・・・」
「そうだよ?」
 微妙な言葉遣いのフッチに苦笑してみせる。
 フッチが敬語で話しているのは自分だけではないので、多分これは三年間の変化のうちのひとつであろう。
 ありし日の少年の姿を知っているだけに、なんだか妙な気分だけども。
 フッチを眺めながら、何気なく視線を動かして気が付く。
 先程から、無言のままの少年。
「ヤトくん?」
「・・・えっ?あ。は・・・」
 一拍遅れて返って来た反応は、だが途中で途切れた。
 ぐらりと傾いた身体を受け止める。
「ヤトッッ!!?」
「・・・・・・ん、大丈夫。多分、疲労じゃないかな。そんな顔色だったし」
 心配そうに叫んで義弟の顔を覗き込む少女に、そう言っておく。

 多分、違う。

 右手で感じる少年の魔力が、酷く不安定だった。
 こんな状態のまま今まで倒れずにいたのは、ひとえに少年の根性の賜物だろう。
 真の紋章は、人に優しいものではない。

 だから嫌だったんだ、関わるのは・・・

 ひとつ嘆息をして、意識のない少年の身体を肩で支える。
 残念ながら同じような体格の少年を背負うことは難しい。幸いなことに、目的地の門扉は目の前だから、悪いがこのまま引き摺って行くことにしよう。



 ほんの一瞬の邂逅になるはずだった。
 この出会いは、偶然か運命か。



 そんなことは結局、誰にもわからない ――――








・・・・・+・・・・・+・・・・・
餞別うんぬんのあたりは「僕はけして後悔などしない」にて
フッチの絶叫が楽しかった(笑)
2010.6.15


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