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それは、些細なくだらない日常の風景で。
あるいは非日常のこの現実で。
ちらりと垣間見せられた、知らない顔。
長年近くで見てきたはずの、馴染み深い雰囲気を纏う少年の見せる、知らない素顔。
そこに生じた軽い疎外感の意味を深く考えるよりも強く
自分の中に芽生えたこの感情が何なのか、嫌と言うほど思い知る。
***
呼ぶ声が聞こえる。
自分の「ほんとうの」名ではなく「いまの」名を、真実を知った今も尚、そう呼び続ける声。
今までの彼からは、およそ考えもつかない言動に納得のできない不穏な思いを抱くことも一時あったが、それはもう己の記憶を無理矢理いじくった本人のせいだと、ままならない自分の感情の動きを責任転嫁させて身勝手に落ち着いた。
四百年の長きを意志を持って生きてきた男を相手にすると思うからズレが生じるのだ。
相手にするのは最近この世に生をうけたただの子供だと思えば、それは至極自然に受け止められる。不本意ながら似非保護者に、にわか教育係を押し付けられたのは事実に他ならない。
とまどいのままに接するくらいなら、いっそ道化を演じてみるのも悪くない。
「聞こえないのかよ、バカ千秋っ」
すぐ背後からの罵声に、そりゃもう億劫に振り返る。顔だけで。
向けた視線の先には案の定、不機嫌な感情を隠そうともせずしかめっ面を晒す顔。
記憶を封じる前のこいつはこんなに単純に感情を顕わにする人間だったろうか、と考える。そうではなかったはずだ。
だが本当は、そうだったのかもしれない。
この少年は真実、自分の知る男なのだ。
記憶なんかなくとも滲み出るものはある。本人が望んでいなくとも、それは紛れもない事実。無自覚の意識がそうさせるとするのなら、これこそが彼の本当の姿だとでもいうのか。
(うがちすぎ、か)
それほど分かり易い人間ではなかった。
では、そう思いたいのはやはり自分なのか・・・
「ああ、ヤダヤダ。不毛な考え」
「何がだよ」
思わず口をついて出た独り言に、律義に反応する少年に視線を戻す。
今度は不機嫌な怒りを通り越して呆れた顔が目の前にあった。
「聞こえてんのかよ、って言ったんだけど、オレは」
ああまた随分と素直な人間に育ったもんだよな、と感心する。
「聞こえたに決まってんだろ。俺たちがこれから行こうとしてんのはもうちょっと先。いーから黙っておとなしくついてきなさい、少年」
その言葉に機嫌が下降した気配が伝わってくる。
常々子供扱いをするなと憤る少年だが、その単純すぎる感情の変化は子供以外の何者でもないぞと、こそりと忍び笑いを漏らす。
案外これはこれで気に入るのかもしれない。
いや、もう気に入ってしまっているのか。
そうなんだろうな・・・と、自分の変化を認める。
今、歩くのは山道だ。さして舗装もされていない登山道。
木の根元に残る雪の塊に、まだほんの少し冬の名残が見え隠れする。寒気はない。肌を撫でるひやりとした空気は清涼感があり、微かに鼻につく土の匂いは、春の訪れを感じさせる。
松本からほど近い、とある山中の道を、二人連れ立って歩く。
この土地に座敷童子よろしく住み着くようになって、気紛れに訪れた先を割りと気に入ってしまった。
気分転換をかねて時折一人で登ることがあるこの場所に、この少年を連れて来たのもほんの気紛れだ。少し気落ちしている様子だったので、なかば拉致のごとく連れ出してきた。
原因はどうせ、記憶が戻りかけて気まずくなってる相手がいるからだろうが。
それについて追求する気はない。勝手にやってろ、だ。自分に火の粉がかからなければ、何だっていい。
痴話喧嘩に口を挟むほど野暮じゃない・・・はずだ。
(だってこいつ違うじゃん)
果てのない確執に巻き込まれた被害者、とも言えなくはない。
当事者であることは変えようのない事実なのだが、それを果たしてこの記憶を持たない少年に押し付けて良いものなのか。
四百年来の同僚が言っていた。「あの子を彼だと思えない」。
(俺だって思えねーよ、こんなん)
決して感情表現豊かとは言えないが、何かあれば馬鹿正直に変わる顔色。
洗練されたものとは程遠い乱暴な言葉遣い。ついでに口下手。
後先考えてるとは到底思えない短絡的な行動。その上時折ボケる。
けど・・・
強く前に向ける意志を持った眼差しは、自分の知る人物を彷彿とさせた。
記憶がないくせに、馬鹿みたいに素直な反応を見せるくせに、時には苛つくほど甘ったれた態度を取るくせに。
あの眼差しだけは四百年。変わったことがない。
(卑怯だろ、それは)
それで笑うのだ。
記憶の中の男と同じ眼差しをした少年は、その瞳で笑顔を向ける。満面の、ではない。不器用に少し照れたかのように微かに口端を上げて。
違和感を感じつつも、だけど強く、もっとその表情を見ていたいと思ってしまう自分がいることに軽い動揺を覚えるのだが。
けれど、こんなのもいいんじゃないのと僅かな抵抗を気にしない自分も、いる。
楽しんでいる。この生を。日常を。
四百年のかつて、そんなことが、あっただろうか――――
「はい、到着。ご苦労さん」
道ともいえぬ道を登りきって軽く振り返る。心底、迷惑そうな顔で後から登って来る相手に腕を差し出してやった。
それを立ち止まって見上げてくる、嫌そうなしかめっ面に噴出しそうになるのを堪えて、掴んだ手首を引き上げる。
両足が地面に着いたのを確かめて顔を上げた少年が静かに息を呑んだ気配を、掴んだままの手首越しに感じて再びこっそり忍び笑い。
ここまで予想通りの反応をされると、笑うしかなかった。
周囲に広がる360度の景色。
高くはない山の頂なので、遥か遠くまで見渡せるというわけじゃない。隣り合わせに連なった、更に高い山々に囲まれた山脈の中の窪地のような場所。
それでも囲まれている閉塞感がないのは、頭上に広がる青空がそうさせるのか。
ともかく広い、と感じさせる場所であるには違いない。
標高はそれなりにあるので、先程よりは幾分肌に触れる空気が冷たい。
「寒くないか?」
「・・・あ。いや、大丈夫」
声をかけられてやっと我に返ったかのようにこちらを向いた顔は、無防備そのもの。
「強がんなよ。震えてんぞ、おまえ」
見たままをからかいを含めて指摘してやれば、
「気のせいだろ。見間違えなんじゃねえの」
返ってくるのはそんな言葉。まあ、そんなことだろうとは思ったが。
素直なんだか、そうじゃないんだか。
(ある意味ストレートで分かり易いけど)
「そーんなこと言っちゃって、山の空気を甘く見たらいかんぜえ。ほらよ」
「っ!?ぎゃあ!何すんだてめえ!!」
ジャケットのボタンを外して広げたその中に、小刻みに震える身体を抱え込む。相手が自分より背が低いから出来る芸当だろう、これは。
抵抗するのなんてのもお見通しだ。
「おまえがよくても俺は寒いんだよ。暖とれるもんがないんだから、しょーがねーじゃん。子供の体温は高いって言うし」
「あ゛あ゛!?誰が子供だコラァ!」
「おまえの他に誰がいる」
「ふざけんな!バカ千秋!!アホ!とっとと放しやがれ!」
腕の中でジタバタ暴れる身体を、ほぼ羽交い絞めで押さえ込む。
「くーるしいんじゃないの?少しは素直に受け取れよ、人の好意を」
「どこが好意だっ!」
「寒いんじゃないかと心配してやってんのに、何その態度。しつれーしちゃうね~」
「うぐ。ちあき・・・くるしいんだけど、」
「暴れるからだっての。いいからおとなしく落ち着いて景色でも眺めてろよ」
「・・・・・・」
観念したらしい。
おとなしくなって震えも伝わらなくなった頃に、ぽつりと呟きが耳に届いた。
「なんでこんなとこ連れてきた?」
冷静になってやっと頭が働いてきたようだ。
「別に。気晴らし」
「気晴らし?」
「そ。おまえの」
微かに身じろぐ気配。
首を動かして・・・どうやらこちらに振り向きたいらしい。
瞳で語る癖があることは熟知している。
だが今日はそれを許してやらない。
「成田が言ってたぞ。最近おまえが元気ないって。 そう映ってんだから、あの坊ちゃんも幸せだよなぁ」
再び身じろぐ気配。今の言葉に怪訝な顔でもしてるんだろう。
「・・・記憶、戻りかけてんだろ、おまえ」
今度は固まる。図星だからだ。
「元気ないんじゃない、戸惑ってんだろ。どうしたらいいのか分からなくて。後ろ暗いんだろ、成田たちに」
「・・・っ」
「でもそうなること分かってて、おまえは選んだんだ。全部、最初から」
「オレじゃない・・・」
「おまえだよ」
「オレじゃない・・・オレじゃない!」
怒鳴る、というより悲鳴に近かった。
「景虎なんて、四百年なんて知らない。オレはオレだった記憶しかない。それ以外のもんなんて知らない。そんなの、おまえらが勝手に言ってるだけじゃないか!」
子供の癇癪だなこれじゃ、と思わず苦笑。
「おまえがどう思おうと、俺たちは本当のことしか言ってない」
「嘘だ、そんなの・・・っ」
「何が嘘なんだよ。おまえに嘘ついて俺たちが得することなんてあるか?何の関係もないガキに嘘ついてまでなんでこの俺様がわざわざ高校生やんなきゃなんねんだよ」
「人違い・・・」
まだ言うかこのお子ちゃまは。無駄に強情なところも変わりがない。
「・・・ま。そう思いたいなら思っとけば? あ?何だよ。人違いなんだろ?だったら景虎扱いなんかしてやらねーから、おとなしくしてろよな。年長者の言うことは聞くもんだぜ」
「・・・くそじじい」
「なんか言ったかクソガキ」
「ぐえっ。く、苦し・・・ 千秋!」
「口はわざわいの元♪」
「あのなあ!」
「はいはい。おとなしくしてないと突き落とすぞ」
「・・・・・・・・・」
さすがにこれは効くだろう。
今日は追い込むために連れて来たわけじゃない。ただの気晴らしだ。
今更、沈黙が気まずい間柄というわけでもなし。余計なことは考えずに、目の前に広がる景色を見ていればいい。
それで少しでも、ささくれ立った気持ちが治まるのなら・・・
「あ」
「何だよ」
「千秋、おまえ・・・」
「ん?」
少し逡巡する気配。
「誕生日おめでとう」
「・・・・・・」
「まあ、ちょっと遅れたけど」
誕生日?
今日は、四月を数日ほど過ぎた頃で・・・
“千秋修平の”誕生日なんて、どこで知ったんだこいつは。
「・・・忘れてたな?」
「おまえはよく覚えてんじゃねえか」
「今、思い出したんだよ」
「ふぅーん?」
しまった。これじゃ顔が見えない。失敗だ。
ここがまぁ素直でストレートなところだろう。
(いや・・・変化球か)
それ以上は何も言おうとしない。
照れ隠しなのか何なのか。自分から言い出しておいて、まったく。
だが悪い気はしない。
今まで宿体の誕生日など特に感じたことはない。喜びも罪悪感も、何も。
そんな次元で言ったのではないんだろう。
ただ言っただけだ。当たり前のことを当たり前のように。
口元に笑みが浮かぶのをどこか他人事のように認識する。
「ありがとよ」
「・・・どういたしまして」
不機嫌そうな声は照れ隠しだ。
見なくても分かる。どうせ今は耳まで赤いのだろう。
腕に少し、力をこめる。
身じろぐ。
でも緩めない。
逃げないように。
怪訝そうに、呼ぶ声が聞こえる。
記憶が戻ればその名を耳にすることもなくなるだろう。
こいつが「いつも通り」になれば。
そうしたら自分も「いつも通り」に戻るだけだ、ということに。
思い知る。
記憶が戻らなければいいと、本当に願っているのは誰だ・・・
「千秋」
「何だよ」
「・・・苦しいんだけど」
「あそ、良かったな」
「・・・おい」
「いいじゃん。寒いし。お手軽なプレゼントのつもりで」
「・・・・・・ガキ」
「だ~れが」
このままでもいいと、思う。
それが今の、俺の 願い
だからどうか呼んで、その声で
結局あいつは最後のさいごまで、その名で“俺を”呼んだ。
その意味が何だったのか。
考えたって答えは出ない。
2013.4.1
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