フォンにのんびりと言われたばかりの言葉を脳内で反芻して、テッドは唇を噛み締めた。
自身の置かれている現状があやふやで曖昧な成り立ちによるものだというのは、誰よりも自分が分かっていたはずのことなのに。
ラディやフォンには原因にも理由にも心当たりはないと言ったが、テッドはどこか漠然とソウルイーターのせいだと確信に近い思いを抱いていた。
生と死を司る紋章。
宿主の近しい魂を取り込んで力を増幅させるという紋章の悪性が、何らかの切欠で逆の事象を引き起こしたとでも言うのか。そこのところはさすがのテッドでも詳しい判別がつけられない。
けれどひとつだけ分かることがあるとすれば、ずっとずっとひたすら呼ばれていた。
名前を呼ぶ声が、ずっと。
聞き間違えようがない。あれは親友の声だ。
おそらく、この奇妙な現象を引き起こした犯人がいるとするならば、それは・・・
「ラディ」
木々の暗がりの中に目的の背中を見つけて声をかけると、小さく縮こまっていた身体がピクリと反応した。
反応はしたが振り向かない。
これ以上近付くとまた逃げるだろうなと親友の行動パターンを把握しているテッドは、そのまま傍らの木に寄りかかり、じっと小さくなっている背中を見つめた。
華奢な背中。細い肩。
同じ年代の男子と比べて決して小柄ではないのに、細身の体格のせいで華奢に見られるのが嫌なんだと零していたのは、いつだったか。確か帝国近衛隊への入隊が決まる少し前くらいだったはずだ。
その頃から全く変わっていない親友の姿を後ろから眺めていて居た堪れなくなったテッドは、そっと視線を外した。
三百年もの永きを生きた中で、唯一の親友。
彼を不幸にすると分かっていて、こうなることが分かっていて。
それでも紋章を彼の手へ渡したことに、その直後は後悔もなにもなかったが、今になって思う。
渡してはならないものだったのかもしれない。
歴史に組み込まれた絶対に逃れられない流れだったとしても。
過去を、未来を変えてしまうことになっていたのだとしても。
渡してはいけなかったのだ。
宿主の身近にいる人間の魂を、貪欲に求める呪いを持つ紋章など。
家族を失う痛みを。
独り取り残される恐怖を。
誰よりも何よりも、テッドは知っていたのに。
ラディが、たった一人の肉親を心から尊敬し愛しているのを、幼い頃からずっと共にいた家人たちを大切に想っているのも全て、傍らで感じて知っていた。
絶対に傷つけることになると、分かっていたのに・・・
「ラディ・・・ごめんな・・・。謝って済む問題じゃないのは分かってるけど、でも」
「だったら謝るな。謝らないでよ・・・」
「・・・・・・」
か細く呟かれた訴えが今にも泣き出しそうな声に聞こえて、テッドは思わず口を噤んだ。
こんな泣き方をするような奴だっただろうか。
涙をこらえ、嗚咽をこらえて。
まるで泣いてはいけないのだと言うように。
だけど心では泣いている。
「――――・・・馬鹿だなぁ」
「・・・テッドが?」
「お前だ、バカ」
「僕が馬鹿なら、テッドは大馬鹿だよね」
「なんでだよ」
「当たり前じゃん。テッドの方が馬鹿なんだから」
あらゆる意味で、とちらりと振り向いた顔は口を尖らせてまるで拗ねた子供のようだった。
その仕草はテッドのよく知る少年のもので、ついでに先程は「俺」だった一人称が「僕」に戻っている。
多分、無意識なんだろうなぁと思いつつ、テッドは蹲るラディと背中合わせに地面に座り込んだ。
触れた背中から伝わる体温に、本当に生きているんだと実感する。
自分は死んだはずだった。
自己満足な酷い別れ方で、親友の心を傷つけて。
それでもこの少年は、自分のような人間の存在を望んでくれている。
強く。
紋章へと無意識下で影響を与えてしまうほどに、強く。
「・・・ねえ」
「なんだ?」
「今のこの状況は、僕のせい?」
敏い少年はやはり、異常と言えるこの事態を引き起こした原因を何となく察しているようだった。
主に原因となっているのは紋章の宿主であるラディの強い想いなのだろうが、たったそれだけのことではさすがの真の紋章様もみすみす動かされはしないだろう。
そう、きっと・・・
「半分正解。半分外れ」
「・・・なにそれ」
軽快なテッドの言葉に、怪訝そうな呟きが返ってくる。
もう一度、と。
背中越しのこの優しい触れ合いを、彼ともう一度。
そう強く願っていたのはラディだけではない。
テッドもどこかで本当は望んでいた。
出来ることなら生涯唯一の親友ともう一度。
たった三年に届くか届かないか。テッドが独りで生きた三百年には遠く及ばない、瞬きをするほど儚いくらい短い時間しか共にいられなかった親友と。
傍にいたい。
共にもっと笑い合って。
ただそれだけの純粋な想いが、真の紋章をも動かしたというべきか。
元宿主と現宿主。
二人の想いが重なり響き合って、そして現実のものとなった。
前例などあるわけないだろう。
聞いたこともない。
だから結局のところテッドにも、自分自身の存在がどういったものなのか説明のしようがなかった。
紋章の影響を強く受けているのは間違いない。
何もない右手の甲を見つめる。
長年馴染んだ紋章の気配は微かに感じるのに、その右手には何も現れていない。
だがおそらく右手には他の紋章は宿せないのではないかと思う。
よく分からないが、ふと漠然とテッドはそう思った。
別にいいのだが。
妙な感じだ。右手に何もないというのは。
不自然な自身の存在。
何もない綺麗な右手。
それだけで愛する親友の傍にいられるというのなら、安いものだ。
いつ消えるとも知れない不安もなくはないが、今のところはラディの傍を離れなければ大丈夫だろう。
楽観的すぎる己の思考に内心で苦笑して、ゴツンと後頭部を後ろにある頭へとぶつけた。
痛い何すんだよ、と後ろから聞こえてくる苦情にすらも幸せを感じるなんて、少しおかしいと思う。
有限か無限か。
せっかく得た時間を、最大限有効に使わせてもらうことにしよう。
ここはひとまず。
「なあ、ラディ」
「なに、テッド」
返る言葉に穏やかに目を細め、だがテッドは先程から気になっていることを聞いてみた。
「ここ、どっかの森ん中ってのは分かるが、正確にはどの辺だ?」
「んー・・・?」
背後で首を傾げている気配がする。
特に方向音痴とかそんなことはなかったはずなのだが、その歯切れの悪さにテッドは一抹の不安を抱いた。
肌で感じる気温の具合とか、見覚えのある植物の感じとか。とにかく己の予想を覆してほしくて聞いたことだったのだが。
「グラスランドの端っこの方だよ」
「・・・どこの端だ」
「・・・・・・・・・東の方?」
それはつまり、あの厄介な北方の大国ハルモニアとの国境付近ってことだろう。
アホかお前らは!!
夜闇に包まれる静寂の森の中に、本気で憤る少年の叫び声が大音声で響き渡った。
2012.8.18
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