トラン共和国初代大統領が、八十二年の人生に幕を降ろした。

 風の噂で、病を患っているとは聞き及んでいた。
 もうそんな歳か、と滅多に浮かべることのなくなった面影を脳裏に思い描いたのは、つい半年ほど前。
 足が向くのにまかせて移動して来て十数年振りに故郷の土を踏んだ、その日。
 宮城の奥。
 ひとつの国を作り上げてきた男が、親族に囲まれた寝台の上で、静かに息を引き取った。






  遺 言



 訃報が街を覆う。

 いつの時にも賑やかさを損なわない街が、常の賑わいを忘れたかのように暗く重い空気で支配されている。
 赤月からトラン。
 変革の道へと人々を導いたのは“英雄”と呼ばれる一人の少年であったが、トラン共和国という国の礎を築いたのは紛れもなく初代大統領である男。まさしく時代を変えた、建国の祖、とでも言うべき人間の訃報に全ての国民が嘆きの声を落とす。
 遠く近く、物悲しい鐘の音が街中に響き渡る。
 宮城へと繋がる大通りには、国中から献花に訪れた人々が長い列を作っていた。
 まるで、亡き男の人柄の良さをそのまま具現化したかのような長い長い列を、街の片隅で旅装姿の少年が眺めている。
 少し前からそこに立ち尽くす姿を、何人かの住民が目撃しているが、国中から多くの人間が訪れるこの日に、それに違和感を覚える人間は一人もいなかった。
 目深に被ったマントのフードもそのままで片手に棍を握り締めた少年は、献花の列に紛れようとはせず、ただ、明るい日差しに照らされた宮城を眩しそうに目を眇めて見つめ続けている。

「俺を・・・・・・恨んでいるだろうか・・・あなたは」

 革命の一番の功労者が前触れなく姿を消したせいで、なし崩し的に国の最高責任者という肩書きを背負わされたであろう、不運な男。
 少年が故郷の家に戻っていることがバレるたびに、懲りもせず幾度も大統領自らが足を運んできては、その全権を譲り渡すと、自分はただ権利を預かっていただけだと言い張り、その都度少年にやんわりと拒絶の意を示され、肩を落として帰って行く背中は、見るごとに小さくなっていった。
 見送る少年の変わらぬ姿と、去る男の小さくなっていく背中。
 他人との明らかな違いを、突きつけられる、その瞬間。
 不老の自分と、老いていくかつての仲間たち。
 すでに幾人かはこの世を去った。
 自分はあと、何人の人間を見送らなくてはならないのだろう。

「すまなかった・・・・・・」

 今更、言えた立場ではないけれど。
 でも今のトランが在るのは、確かに男の力であり。
 少年がこうして自由気ままに放浪をしていられるのも、確実に男の存在があった故であり・・・

「ありがとう・・・安らかに・・・・・・レパント」

 解放軍で初期から共にいた男へと、静かに最期の言葉を落とす。
 本当は、側にいられたら良かった。
 彼だけに限らず、仲間たちの側にいて、同じ時間を共有していられたなら。
 だけどそれだけは許されない。
 右手の存在が、許さない・・・
 共に死線をくぐり抜けた仲間たちを、自らの手で屠る事態に陥ることだけは、させるわけにいかなかった。どんなに乞われようとも、側に居続けることだけは・・・出来なかった。

「・・・こんなところからで悪いけど、もう行くよ。今日は、きっとどこも宿は満室だろうし。最後まであなたには薄情なだけだな、俺は。・・・・・・さようなら」

 まだ陽は高い。
 これから移動すれば、空きのある宿は他の町で見つかるだろう。
 マントの裾をなびかせ、きびすを返した背中へと、不意打ちのごとくかけられた声に思わず目を見開いて立ち止まる。

「坊ちゃん」

 呼ばれるまで気付けなかったのは、やはり少なからず動揺している証拠だ。
 ゆっくりと振り返れば、そこには予想した通りの人物が立っていた。

「・・・クレオ」

 前に会ったのは、何年前だったろう。
 記憶にある顔からはやや老け込んでいたが、背筋を伸ばし凛と立つ姿と雰囲気に変わりはない。
 ふわり、と笑う。その顔は、会うたびに優しく丸くなっている気がする。

「いらしてたんですね。・・・ところでまさかとは思いますが、こんな日に誰にも会わずにまたどこかへ行かれるおつもりですか?」
「・・・・・・・・・・・・」

 鋭いところは、全く変わらない。
 まさかこんなところで一番厄介であろう人物に見つかるとは、つくづく運がない。
 ・・・いや。これは、最初で最後の故人からの腹いせだろうか。
 やはり、顔も見せずに遠くから語りかけて立ち去るだけでは薄情にも程がある、ということか。本当に、世の中うまく出来ている・・・。
 誰にも従うことを良しとしない少年が、唯一逆らうことの出来ない存在。

「・・・・・・ごめん。実はそのつもりだった・・・けど、タイミング悪かったね。おとなしく帰るよ」
「ふふ・・・素直で助かります。坊ちゃん ――― おかえりなさい」

「ただいま・・・クレオ」



++++

 十数年振りの実家は変わりがないかな、などと考えながらクレオにおとなしく付いていけば連れて行かれたのはあろうことか、宮城の奥宮だった。
 途中で逃げ出すことはもちろん考えたが、クレオに掴まれた腕を結局振り解くことが出来ずに、今に至る。
 こんなところまで連れて来られれば、次に出て来るであろう人間は嫌でも予想がつく。

「や、久しぶり。相変わらずのようで何より」
「・・・・・・・・・シーナも・・・」

 故人の長男が、こんな日にこんなところで接客している場合ではなかろう、とは思ったが、相手が相手だ。あまり常識に照らし合わせて考えてもするだけ無駄。
 そんなかつてのナンパ男も、気が付けばすでにいい年になっていた。
 出会った頃のレパントよりも年嵩なはずだが、そんな気配を微塵も感じさせないのは向けられる笑顔が変わらないからだろうか。・・・彼が母親似だということもあるだろうけど。

「それにしてもやたら遅かったな、来るのが。噂は伝わらなかった?そろそろばら撒いて一年になるんだけど」
「・・・・・・・・・・・・」

 伝わった。
 というか待て。「ばら撒いた」?

「あはは。何その顔。ばら撒いたっつってもまったくのガセってわけじゃないんだから、いいじゃないか。これでも結構強硬したんだぜ?周辺国が落ち着いてるとはいえ、トランの初代大統領が病で倒れるなんて気軽に流していい情報じゃないし。本当だったら新大統領就任後しばらくしてから出すはずだった情報なんだ」
「・・・・・・」
「あぁ、分かってるみたいだな。そう。お前をおびき寄せるためだけに流したんだ。きっと来るだろうと思って」
「すみません、坊ちゃん。連絡方法がないかと聞かれたんですが、坊ちゃんが手紙をくださるのも稀なので・・・一応、私は止めたんですが」
「止めても無駄だって言ったじゃん。本人のご希望だったんだから」
「・・・レパント、の?」
「訃報は広く伝わるだろう?でもその頃には本人はいない。だから噂を流させた。・・・・・・意味、分かる?」

 トラン大統領はすでに数年前に、代替わりしている。今は二代目のはずだが、その二代目はやや虚弱体質だと聞いた。それで近々、次の大統領が就任するのでは、という噂も耳にした覚えがある。
 そこに加え、求心力のある初代大統領の不調、では確かに周辺国の情勢が落ち着いていようとも不穏であることに変わりはない。国民にもいらぬ不安を与えてしまう上、最悪、それを隙と見た野心のある輩につけ込まれる可能性だってある。
 にも関わらず、自身不調の噂をあえて流させた。
 どこにいるか分からない、たった一人の人間の耳に、入るように?
 そんな危険な真似をしてまで・・・

「俺に・・・会いたい・・・・・・と?」

 あり得ないだろう、それは。
 戦後に彼を一番苦しめたのは他ならぬ自分なのだ。
 顔を見せるなと拒絶されるのならばともかく、死に際に会いたいと思われるような間柄じゃない。

「・・・・・・なんて顔してるんだよ。ホントに親父は会いたがってたよ、最期まで。トラン共和国の初代大統領っていうでかい看板を背負ったことに後悔なんかしてない、やり遂げられた達成感でいっぱいだって。心残りなんかひとつもないけど、どうしても直接言いたかったことがあるんだって」

 後悔はしていない?
 本当に・・・?
 余計な荷物を背負わされたとは、思っていなかったのか。

「受け取ってくれ。遺言だ」

 力なく下げた手の中に、丁寧にたたまれた一枚の便箋を握らされた。
 のろのろと、腕を持ち上げて、それを開く。
 目の前に現れたのは、戦時中に見慣れた、筆跡。確かな男の直筆の証拠。


『あなたにずっと謝らねばならなかった。

再三、大統領にと請うたが、あなたがどんな想いでかの紋章を背負っているのかなど、分かっているつもりでいて実際深く考えもしていなかった自分が恥ずかしい。今では、あなたが頑として首を縦に振らなかったことに、感謝すらしている。

危うくあなたを二重三重の重責で縛り上げて殺めてしまうところだった。

私の人生はここで終わり、あなたとは永遠の別離になってしまうが、忘れないでほしい。あなたを気にかけ心配する人間が、確かにここに、存在したということを。

―――― あなたのこれからの永い旅路に、幸多からんことを』


 肩に柔らかく温かな感触が触れた。
 クレオの手だ。

「・・・・・・・・・っ・・・」

 気付いたときには遅かった。
 視界が滲む。
 一粒零れてしまうと、あとは次から次へと落ちていく。
 止める術なんか知らない、のに・・・

 ――― おれの分まで、生きろ

 ふいに親友の最期の言葉が甦る。
 彼から貰ったものは色々あるけれど、形に残るようなものは、そういえば貰ったことがなかったような気がする。右手のもの以外は。

 紋章だけを遺して逝った、親友。

 遺言を手紙という形で遺した、かつての仲間。

 彼らがどんな想いでいたのかなんて、今となっては知る術すらない・・・
 けれど確かに、託されたものはあって。
 受け取ったものが、ある。

「・・・・・・坊ちゃんは決して、独りではありません。私たちも遠くないいつか、あなたを独りにしてしまうけれど・・・。覚えていて下さい。無責任なのは百も承知ですが、私たちは側にいます。いつまでも」

 ああ。分かってる。
 分かってるんだ・・・
 自分はいつか、独り、世界に置き去りにされる。
 その日が遠くないと気付いた時に、逃げ出した。
 トランから。生まれ故郷から。クレオから。かつてを知る仲間たちから。
 最初から孤独のままでいれば、いつか本当に独りになったときに、余計な孤独感を感じなくてすむ。
 これからそうやって、生きていけばいい。
 いつか必ず訪れる孤独の影に、怯えて生きるよりは。
 紋章を、背負って・・・独り・・・・・・

「独りになんて、なれるわけないだろ。我らが英雄殿は、あらゆる意味で強烈なんだからさ」
「・・・・・・なに、それ」
「旅は道連れって言うじゃん。どこ行っても誰か巻き込んで何か起こしてそーだな・・・ととと、冗談冗談!だから!しぶといんだから、そのまんまでいればいい」
「・・・・・・・・・」
「そのまんまで。そんで、俺がいつか死ぬ時は、側に居てくれると・・・嬉しいかな」
「・・・・・・・・・」

 ・・・ごめんだ、そんなの。
 勝手すぎるにも程があるのに、あまりにも軽く言われたから呆気に取られるしかなくて。
 だから思わず

 笑うしか、なかったんだ。








クレオ:68歳、シーナ:56歳、アイリーン:72歳
…というメモがしてありました(笑)蛇足。
そして実は、これが幻水の初号作。だと考えると、なんか色々物凄い…
2010.4.1
2011.3.2(シーナの口調を若干修正)


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