「来てやったぞ!」
 叫びながら、少々たてつけの悪い扉を蹴りつけて開ける。
 途端、いかにも不機嫌そうな声が部屋の奥から飛んできた。
「ぅうるせーよ、バカ虎。少しはご近所迷惑ってもんを考えろ」
 だったらまずこの扉を何とかしろ。
 あと、こっちの都合も構わず急に呼びつけたのはお前だ。
 それでバカ正直に出向いてるオレもオレだが。しかも外は例年にないほどのドカ雪。
 これはさっさと済ますに限る。
「・・・それで?用件はなんだよ?」
「用件?」
 あ。ヤバイ。嫌な予感が・・・
「学校が休みの日にわざわざ人を呼び出した用件だよ」
 まさか、とは思うが。
「あ〜・・・ないない、そんなもん」
 やっぱりかーーーっ!!?
 用もないのに呼び出しやがる!?しかも休日に!
「どーゆうわけだ、それは!!」
「どーゆうもこーゆうも、ないって、だから」
 平然と言いやがるし、この野郎。
「とりあえず、あがれば?」
 玄関に突っ立ったままのオレを振り返って、いけしゃあしゃあと。だがしかし。
「帰る」
 付き合ってられるか。
「え〜おいおい。外はドカ雪だろ。寒いんじゃねぇ?」
「だから帰る」
 そんでさっさと風呂につかる。よし決まり。
 だけど、背後から投げ付けられた言葉にうっかり動きを止めてしまった。
「送ってってやるよ」

 ・・・・・・。

 しまった。
 罠だ。

 振り返った先の顔は、完全に笑っていた。ニヤニヤと。
「だからちょ〜っと付き合えって。な?」

 一瞬の迷いが命取り。
 拒む隙をなくしたオレは、単純すぎる奴の手口にまんまと嵌っていた。




***

 “ちょ〜っと”付き合え・・・って、コレかよ!?
 やられた!

「おいこら。集中しろ集中」
「いてっ」
 定規で後頭部をはたかれた。なんで定規・・・
 そして目の前には、開いたノートの上にばらまかれた数枚の小銭たち。
 見慣れた『力』の特訓風景。
 って、なんでこんなとこ来てまでそんなことやらなきゃならないんだ!?
 騙し討ちもいいとこだろ、これ!
 あっさり騙されてまんまとやらされてるオレもいい加減アホすぎだが。
 スパルタ指導っぷりは相変わらずだし。
 そもそも呼び出してまでやることか。こんな悪天候の日に。
 ・・・なんかあったか?
「あ?なんだよ。俺を睨みつけてもなんも動かねーぞ」
 至って、普通。
 だけど、こいつの“普通”は分からない。
 先週には教室で普段通りにしてたけど実は服の下は包帯だらけだったとか。
 いつも人のこと面白そうに眺めてニヤニヤしてる男だが、だからこそ腹の底で何を考えているのかさっぱり分からない。
 別に分かりたくもないけどな。
 再び小銭を睨みつけるが、動く気配はない。
 そう簡単にこんなもん動かせるわけねーって。
 一円玉でさえ微動だにしない。するわけねぇ。
 だいたいこんな古臭い特訓方法なんかで、本当にあの時使えていたでかい力を取り戻せるもんか?
 笑顔が嘘臭い男のすることは、全てが全て嘘臭く思えるのだから不思議だ。
 だからといって少しでもサボろうとする素振りを見せると速攻で定規が飛んでくる。
 なんつー理不尽な教育係なんだ。
 ますますこんな奴をオレの傍に置いてった似非坊主を恨みたくなってきた。
 とりあえず姿勢だけでも真面目に取り組んでいるふりをしなければ。

 うんうん小銭の前で唸ることしばし。

 小銭のまかれたノートの横に、ひょいと何かが置かれた。
 思わず視線を動かしてしまったが、定規が飛んでくる気配はない。
「・・・?」
 見た限り、それは、あれだ。
 チョコレート。
 に、見える。
「休憩。食えば?」
 飄々と言う相手の手には、すでに一粒のチョコがあった。
 意外だ・・・
「まじで、食っていいのか?」
「? いーから出してやってんだろ。そこまで俺も鬼じゃねえよ」
 言いながらチョコを口の中に放り込んでいる。
「・・・んじゃあ、いただきます」
 こんな人間の家で食べ物にありつけるとは思っていなかった、とは失礼すぎるが、だが普段だったらもう少し警戒していたかもしれない。何しろ胡散臭い男だから。
 だけどオレは、奴が目の前で同じモノを食べたのを見て完全に警戒を解いてしまっていた。


 それが完璧な心理的誘導で罠だったのだと気付いた時には、全てが手遅れだったわけだが。


「・・・っ!!、〜〜っ!!?」

 辛い。
 チョコレートが、辛い、だと・・・!?

 激辛まではいかない。
 冷静に分析すれば、ピリ辛くらいだ。
 しかし今オレは完全に甘いチョコレートの味を想像して口に放り込んだ。
 だから余計に衝撃はでかかった。
「げっほ・・・! お、おいちあき!なんだよコレ!?」
「なにって・・・チョコだけど」
 悶絶するオレの反応を見て首を傾げる目の前の座敷わらしは、不思議そうに首を傾げている。
 どういうことだ。
 出した本人でさえも把握してなさそうだとか、そんな馬鹿な。
 ではまさか、本当に偶然の・・・欠陥品だった?
 ノートに突っ伏してうんうん呻っていたら、ことりとグラスが置かれた。
 透明な普通のグラスの中には、透明な液体。おそらくは水だろうが。何しろ相手が相手だ。しかもたった今、辛いチョコを与えられたという故意なのか事故なのか分からない状況で。
「・・・・・・」
「なんだよ?」
 思わず睨んでしまった目の前の相手は、やはり不思議そうに首を傾げてこちらを見ている。
 ちなみに奴の持っているマグカップからは湯気が立ち昇っているから、水ではないだろう。なんだその差別は。
 諸々の仕打ちに耐えかねてふるふる震え出した目の前で、ぶはっと吹き出す音が聞こえた。
 見れば、たった今まで飄々とマグカップを傾けていた男が、腹を抱えて爆笑している。
「ぶはっはははははは!!おっ、おまっ、さいこー・・・ぶふっふ」
「・・・千秋?」
 頭でも打ったか、と思わずにいられないほどの爆笑具合だ。
 大丈夫だろうかこいつは。
 怪訝にというか不審にというか、もはやおかしなものを見る勢いで視線を向けた先の相手は、腹を抱えながらニヤリと口端を上げて笑った。
 その笑みに、嫌な予感しかしない。
「辛いの、ダメだったのか?」
「は?」
「だからそれ。今のチョコ」
 辛いのは、特にダメでも苦手でもない。
 だが奴の問いかけに、まさかとオレは頬を引き攣らせた。
「おい、今のチョコって」

「わさびチョコ」

 やっぱりか・・・!
 悪びれもなくあっさりと白状した男は、爆笑の余韻を引き摺りながらも体勢を立て直し、やはり飄々と続けた。
「いやぁ、現代人は愉快なこと思いつくよなぁ。こんなもんが普通にコンビニに並んでるんだぜ?もはや俺様に買えと言っているようなもんだよな」
 断じて違う。
 それは全くの勘違いだと、声を大にして主張してやりたい。
 だが、ふと先程の光景を思い出してオレは首を傾げた。
 こいつは、同じ包みのチョコを食べていなかっただろうか。
「なあ、お前が食べてたのは?」
「あん?ああ、俺のは七味」
「・・・は?」
「だから、七味味。わさびと七味が三粒ずつ入ってる奴買ったんだよ」
 俺は七味よりわさび派かな、などと呑気に感想を呟いている。
 おい、言うべきことは、それだけか?
 剣呑な眼差しを向ければ、呑気にニヤリと笑った男は楽しそうに口を開いた。

「逆襲チョコ」
「・・・・・・・・・は?」
「逆襲チョコ、略して『逆チョコ』・・・だろ?」

 楽しげに笑う男が指差す先にあるカレンダーを見る。
 今日の日付は・・・2月14日。
 なるほど?
 いや、だがしかし間違ってる。
 その認識は、激しく間違っている・・・っ!!

 しかし、目の前に迫る表情を見る限り、いたって真顔。ニヤリ笑いだが。
 本気か?
 本気で言ってんのか、こいつは。
 いつもみたいにオレをからかうための冗談なんかではなく?
 というか何に対しての逆襲なんだ。むしろ逆襲したいのはオレの方だ。
 普段の仕打ちを思い出して、思わず重たい溜息を吐き出してやった。隠す必要なんか微塵も感じない。
 目の前の顔は、やはりニヤリ笑いのまま。
 にやにやとこちらの反応を窺っているのか楽しんでいるのか。・・・両方か。

 とりあえずオレは、今の一連の出来事を一切なかったものとして、ノートの上に散らばったままの小銭を再び睨みつけることにしたのだった。




  逆チョコの定義




 ちなみに、千秋が本気で言ってたのか冗談で遊んでたのかは、結局のところ分からず仕舞いだった。
(本気だったら相当ヤバイ気がする・・・)








逆チョコとか流行ったの、いつでしたっけ?(笑)古い話題ですみません。
しかし早々に逆チョコはすたれましたね。特に流行らなかったともいうか…
なんだか二人ともおかしなテンションになってますが、学生独特のものということで一つ(くるしいか…)
2015.2.12

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