ビニール袋を片手に訪れた先の住人は、こちらの顔を見るなり嫌そうに、そりゃもう心の底から嫌そう〜な、しかめっ面を披露した。




  ジンジャー



「なんか用か」
「お前それ、このクソ暑い中わざわざ訪ねて来てやった友人に対する態度じゃないだろ」
「誰が友人だって」
 しかめっ面をそのままに、更に眉間に皺を寄せた目の前の少年、仰木高耶の態度は相変わらずふてぶてしい。
 確かに自分でも、こいつと友人関係とか勘弁してくれと思う。
 友人ではない。
 けれど今は、主従関係にあるとも言えない。
 何とも宙ぶらりんな現状に、戸惑うのはもうやめることにした。
 どうせ戸惑っていたって目の前の現実は変わらない。
 四百年の長きに渡り共に生きてきた主人、上杉景虎の成れの果てが、このクソ生意気な子供だということは。
 自ら記憶を封じたというのなら、それは本人の管轄で、本人の責任だ。
 律義に自分たちまで付き合ってやる必要はない。
 力のトレーニングが必要なのはまあ、認めてやろう。
 だが他は知らん、勝手にしろ、と安田長秀こと千秋修平は早々に匙を投げた。色々なことに。
 そして出した結論として、現状を大いに楽しむことにしたのだった。




 結果的に千秋は仰木家の敷居を跨ぐことを許された。
 これが記憶のある景虎本人相手だったら、まず門前払いだったはずの状況である。
 今生の景虎は色々楽しませてくれるな、と呑気なことを思いつつ、千秋は通された台所で流しに向かっている少年の背を眺めていた。

 夕飯の材料買ってきてやったから、と千秋が強引に押し付けたビニール袋の中身を見て、高耶は固まった。
「・・・・・・はあ?」
 もちろん、その反応すら予想しての中身である。
 予想通りの反応を示してくれる少年に、千秋は内心で笑いが止まらなかった。

 現在も止まっていないのだが、ひとまず笑いは口端にだけ微かに浮かぶのみだ。
 真正面から笑い転げたら、相手の返す反応もこれまた予想のつくところなので、今のところは堪えておく。
 トントントン、と響く包丁の音は、それほど早くはないが淀みもない。
 聞いていて知ってはいたが、本当に彼は料理を日常的に行っているのだろう。
 千秋が背後でにやにやと笑うのを見ないようにしているのか、調理を始めた高耶は一度もこちらを振り返ろうとしない。
 代わりに時折「なんで俺がこんなこと」とか「ちくしょう」とか小さな悪態が聞こえてきているが。
 当然のことながら、千秋はその悪態の全てを聞こえないことにした。


「出来たぞ!」
 偉そうに吐き出して振り向いた高耶の声に重なるように、炊飯器も炊き上がりの長閑なメロディーを響かせた。
 先程からテーブルの上に並べ始められた料理たちに続いて、ようやくの完成らしい。
「意外と早かったな。優秀優秀」
 持参した材料的に、無茶ぶりをした自覚はあったので、ここは素直に感心しておく。だが返ってきたのは、怪訝そうに顰められた顔だった。
「・・・そんだけか?」
「あ?なに?もっと褒めろって? んだよワガママな坊ちゃんだな」
 優秀よりももっと上位の褒め方が宜しかったらしい。
 更なる褒め言葉を探していると、何故か遮られた。
「そうじゃねー。そうじゃなくてだな」
「なんだよ」
「偏ってる、とか、文句・・・」
 メニュー内容に明らかな偏りがあることに、文句をつけられると思っていたようだ。
 そんな馬鹿な、と思わず零しそうになって口元を押さえる。
 偏りなど分かりきっていることだったので、文句を言う準備すらしていなかったのだ。

 何しろ千秋が「夕飯の材料」として持ち込んだのは、大量の生姜、だったから。

 からかい半分の嫌がらせも兼ねた材料チョイスだったが、それにも一応の意味はある。
 思いついたのが昨日か一昨日あたりで、実行日を今日にしたのは、自分的になんとなくキリが良さそうだと思ったからだが、
「文句なんかねえって。俺が生姜三昧したかっただけだしな」
 これが本当のところの本音である。
 暑さ厳しい残暑だからこそ、生姜が欲しくなる。
 まずは目の前の生姜焼きに手を伸ばした。
 タイミング良く豚肉があったあたり、今夜は冷しゃぶか生姜焼きにでもするつもりだったのではなかろうか。
 そんなことを思いつつ、千秋は手元の器に入っているスープをかき回す。
 中で泳ぐように回るのは、生姜とえのきとしめじだ。きのこのスープを生姜ベースの味付けにしたらしい。
 更に手元にあるご飯からも、生姜が覗いていた。
 その横の、少し小さめの小鉢に盛り付けられている生姜の薄切りを一枚、口に運ぶ。
「ん。・・・甘酢?」
「ああ。生姜の甘酢漬け、だけど」
「へえぇ。意外といけるぜ。この味、好きだな」
「・・・どうも」
 賛辞を素直に受け取れないらしい少年は、やや顔を逸らしてぼそりと呟いた。
 こっそり様子を窺うと、耳元が赤い。照れているようだ。
 これくらいで照れちゃって、かわいいねぇ〜と、からかっても良かったが、とりあえず千秋は並んでいる皿の中のもので気になっていたことを聞くことにした。
「なあ、これ。 オクラ、だよな?」
「オクラだけど」
 それが何だよ、とでも言いたげな顔だ。
 確かに見れば分かる、のだが、そのオクラにも細かくみじん切りの生姜らしきものが混じっている。
「いやだから。これ、オクラと生姜の、何?」
 恥を忍んで、どころではなく、素で聞いた。
 千秋が全く料理をしないのは、高耶も関知するところであったらしい。
「あー、オクラ焼いたのを、生姜マリネ風に」
 しかし説明が役不足だった。
 何となく言いたいことは分かったので、ふぅんと頷いてオクラを一本持ち上げる。
 オクラも夏に食べたくなる食材の一つだ。
「・・・お。美味いじゃん」
「そか」
「うん。美味い美味い」
 極々普通の単純すぎる褒め言葉だったが、照れ屋な少年には堪えたらしい。
 顔を真っ赤にして、ついに俯いてしまった。
 過剰すぎる反応には、おいおいと内心で溜息を吐くしかない。
 こんなに殊勝な反応を示してくれる少年だっただろうか、と首を傾げつつ、とにかく千秋は食べるのに専念することにした。
 高耶が復活してきたのは、少ししてからだ。

 ちなみに、普段から口を開けば嫌味しか飛び出さない人間の口から吐き出される素直な賛辞というものは、時に激しい破壊力を持つ、ということを、千秋自身は知らなかった。




 久しぶりに美味い飯を食った、と千秋が満足していると、高耶がカップを片手にこちらを睨みつけていた。
 ちなみに食後のお茶も、ドライ生姜を使った紅茶である。
 今日はとことん生姜攻めに決めたらしい。
「で。結局お前、こんなことしてホントに生姜三昧しに来ただけか?」
 やはりそこに引っかかるようだ。当たり前か。
 しかし生姜三昧は本音だ。頷くしかない。
「本当だって。夏にはやっぱり生姜料理だよなぁ」
「だったら自分で作れよ」
「他人が作った料理が美味いんだよ」
「・・・・・・」
 処置なし、と呆れたように目の前で首を振られた。
 微かに頬が赤いのは、気付かないことにしておいてやろう。
 ニヤリと笑って、千秋はついでだった目的の方も明らかにしてやった。
「あとはまあ、ジャスト一ヶ月遅れってな」
 生姜が俺からのプレゼントな、と言ったら、本気で怪訝な顔をされた。
 まあ、一週間とかでなく一ヶ月も前の記念日のことを今更言っても、察しのよろしくないこの少年には伝わらないだろう。
「誕生日だったろ。ハピバってことで」
「・・・・・・・・・・・・遅ぇ・・・」
 額を押さえて小声で呟かれた言葉は、聞こえなかったことにしよう。
「てか、それでなんでお前の食いたい物を持ってくるんだよ」
 しかも迷惑なほど大量に、とぼやいた高耶に、再びニヤリと笑う。
 生姜が食べたかったのは本当だ。
 だがもう一つ。理由がある。
「誕生花」
「は?」
「7月23日の誕生花。いくつかあるけど、その中に『ジンジャー』てのがあってな」
「・・・・・・・・・」
 ジンジャーの和名は、生姜だ。
「花言葉もいくつかあるぜ。まず、」
「いい!聞きたくねえ!」
 碌なこと言わないだろ、と思っているのが顔を見るだけで分かる。
 全くどこまでも素直なお子様だ。
「『信頼』」
 まあこれは妥当だろう。
 嫌そうな顔をしつつ、千秋が口を閉じないことを悟ったのか、高耶は諦め気味に溜息を吐いた。
「『豊かな心』」
 ニヤリと微笑する。
 喜怒哀楽が割りと分かりやすい少年は、確かに心が豊かなのだろうと思われる。
 普段の態度が悪いのと、口が悪いのはご愛嬌、と言ったところだ。
「『慕われる愛』」
 更にニヤリと微笑を深くして「俺に」と一言付け足した。
 途端、目の前の少年が気味悪そうに顔を顰めて立ち上がる。
「誰が、誰を、慕ってるって・・・?」
 嫌なら聞き返さなきゃいいのに、その辺律義なのかアホなのか判断に困る。
 なので千秋は律義に返してやることにした。
「俺が、お前を」
 にやにやと笑いながら、指差し確認までする。
 明らかにからかわれているのが分かったのだろう。
 ガタリと音を立てて椅子を蹴り倒し、「イヤすぎるっ・・・!」と呟いている少年の背中を、千秋は食後の楽しみとして堪能するのだった。

 無駄なこと、という花言葉もあったが、美味かった料理たちに免じて、これだけは言わないでおいてやることにした。








ブーゲンビリアとか女郎花とかもあったんですが、調べた上で、あえて生姜に(笑)
ショウガ目ショウガ科ショウガ属ってのにも笑えたんですが、ネタとして出せなかったのが残念です。
一ヶ月遅れには目を瞑っていただきたい方向でひとつ…
2014.8.23

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