春に降る 淡紅の雪
桜 雪
「桜の下に・・・」
満開の桜の樹を見上げる千秋修平の隣で、同じく桜を見上げていた仰木高耶が唐突にぽつりと呟いた。
タバコを箱から取り出しながら横目に見ると、高耶の目線は頭上の薄桃色で固定されている。
割りと突飛な発言をすることが多い少年だが、今度は何を言い出すのかと千秋は内心で若干身構えつつ、タバコを口元に持っていき、
「死体が埋まってるって」
唇に銜える前に、ぽろりと指先から零れ落ちた。
そんな千秋の反応など気にしていないらしい、「だから桜の花はピンクだって話なんだけどさ」と続けた高耶は、そこで言葉を切り一拍の後、
「言っとくが俺は信じてねーぞ、それ」
憮然と言い放つ。
さすがに本当の話とまでは思っていないようだ。
ハイハイ、とおざなりな返事をしながら千秋は新たなタバコを取り出して銜える。火もつけずに落とすとはとんだ失態だった。
「変な話だよな」
まだ何か言いたいらしい。
変なのはお前の思考回路だ、と突っ込みかけた千秋だが、すんでのところで思い留まる。
「ピンクの花を咲かせるのは桜だけじゃないのに」
はらりと散り落ちてきた薄い花びらをそっと手の平で受け取りながら、高耶は心底不思議そうに呟いた。
言われてみればそうかもしれない。
確かに薄桃色の花を咲かせるのは古来から桜だけとは限らない。
けれど古くから日本人が愛でる習慣を持ち、時には説明のつけられない畏怖すら抱きながらそれでも固執し続けてきた花。
はらはらと一枚。
いっそ潔いほどたった一枚だけで落ちてくる花びらを、ひとひら。
同じ季節が巡ってくれば、日本のどこに行っても飽きるほど目についた桃色。
どこに居てもいつの時代にも。
「―――― 桜が吸ってるのは、死体の血じゃない」
「その地に染み残った人々の想いだ。 人は死んでも、想いは遺る。遺った想いを吸い上げて、花を開いて」
火のついていないタバコを指先に戻し、頭上で揺れる枝を見上げた。
空の青と桜の薄桃が、目にも鮮やかな見事なコントラストを生み出している。
「降り積もって、また」
足元を埋め尽くす優しい色合いの、花。花。花。
「大地に戻っていく」
理由は様々あるのだろう。
だがこれほど美しく散る花を、四百年生きてきた千秋でも他に知らない。
「だから日本人は、桜を愛でるって習慣を捨てられないんだろうな」
美しくもどこか物悲しい姿で散り落ちていく花びら。
その姿に、人は何を思い、どんな想いを重ねるのか。
「死んだ人間の・・・想い」
黙って千秋の言葉を聞いていた高耶が、ぽつりと呟く。
手の中の花びらを口元まで持ち上げ、口付けでもするように軽く花びらを唇に当てる。
そのまま再び黙って桜を見上げていたと思ったら、またも唐突に「ふぅん」とどこか納得したように頷いてニヤリと口端を釣り上げた。
とんでもないことを言い出す予兆だ。
「千秋って意外と、ロマンチス」
ト、まで高耶は言いきれなかった。
ゴス、だかドス、だかなかなか良い音がして見ると、高耶の脛に千秋の靴が絶妙な角度でぶち当たっている。
はらり、と高耶の手から零れ落ちた花びらが宙を舞う。
奇妙な沈黙が奇妙な長さで、桜の下に立つ二人の間を流れていった。
地面を踏みしめた靴底で砂利同士が擦れ合って音を出す。
足元を見れば、一面が薄い桃色。
ゆっくりと見上げた頭上にも、揺れる枝先に長年見飽きた薄桃。
あれから・・・
死人も生き人も全てを巻き込んだあの激闘。その収束。
静かな静かな空間で、最後の一息を吐ききった彼とそれを間近で見守った男の姿を離れた場所で見守ってから。
自分の上に降り積もる時間の流れは変わることなく、いくつかの雪と桜が通りすぎていた。
「ロマンチスト・・・か」
認めたくはないが、実際どうなのだろう。
それとも、だから未だに伊勢の桜だけは見る気が起きないのだろうか。
「関係ない、か」
気分の問題だ、気分の。
思わず立ち止まってしまった身体をくるりと反転させて歩き出そうとした動きを止めるかのごとく、目の前にはらはらと薄桃色が落ちてきた。
うっかり差し出してしまった手の平に、ひとひら。
いつか彼がしていたように、唇で軽く花びらに触れる。
舞い散る桜は 過去の想い
散りゆく花びらに
もう逢うことの叶わぬ面影を重ねて
見上げた空に広がる青と薄桃のコントラストに、笑うことのできる自分がいた。
今年もまたひとつ
穏やかに優しい季節が 過ぎていく
オフ本から。漫画→小説への変換というものを初挑戦。
2012.4.1
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