彼は現在、わりと真剣に途方に暮れていた。
 何故かというと。

「これ、群島文字ってやつだよねぇ。 ・・・・・・読めない」






  旅 は 道連れ ?



 ラディ・マクドールは、元赤月帝国将軍家の嫡男であり、それなりに近隣諸国の言葉も学んできた。とはいえ、その範囲もさすがに限られる。
 単純な所、群島文字までは学習範囲になかったのだ。
 赤月帝国が群島諸国との遣り取りが大してなかったというのに加え、群島文字自体があまりにも独特すぎるのが問題だった。
「南方でもファレナとはまた違うのか。厄介な」
 群島諸国から海を隔てた更に南の大陸にあるファレナ女王国。その国の文字だったら基本的な単語などは分かるのに、残念ながら形態が違うようだ。
 厄介な、と首を捻ること数瞬。
 案内板の解読をあっさりと諦めたラディは、おとなしくそこらにいる人間に教えを請うことにした、が、
「あの、すみません」
「hensjiskmeuaj?」
「・・・・・・あー・・・」
 手っ取り早いかと思われたその対策も、返ってきた相手の言葉がさっぱり理解出来ないことで無駄だと悟る。
 そんな馬鹿な、と思ってしまうのは、まだここが一応は北大陸だからだ。
 端も端の大陸の端っこの町だが、これはないだろう、と。
 相手の操る言語は、おそらく群島のものだ。
 ラディに言葉が通じていないことが分からないのか、うっかり話しかけてしまった相手は漁師風の男で、満面笑顔でまだ喋り続けている。
 自分にも漁師に知り合いがいるが、陽気でもここまで陽気すぎてはいなかった。
「jaloe;.mspfk!」
 微苦笑で固まるラディに何を思ったのか、陽気な漁師風の男はにっこり笑うと、やおらラディの腕を掴んでどこかに連れて行こうとした。
 これにはさすがにラディも抵抗をする。
「え、いや、ちょっと」
 言葉が全く通じていないのなら、早々に話を切り上げて立ち去らなければならない。
 しかし言葉が通じないのでは、話もどうやって切り上げれば良いのか分からなかった。
 戸惑っているうちに、意外と力強い男にずるずると引き摺られていく。
「kirli!」
 引き摺られていったのは漁師小屋のような場所で、どうやら本当にこの男は漁師なのだろう、と思うくらいだ。
 言葉が分からないのでは、意思疎通が半分以上は出来ない。半分以下は身振り素振りなどで可能だとは言え、この状況では役に立たないだろう。
 鼻歌混じりにラディを引き摺る男は、小屋に向かって大声を張り上げた。
「kirli!!」
 先程も同じ発音で小屋に向かって声をかけていた。
 何かの合図だろうか。
 腕を掴まれたまま首を傾げていると、目の前の小屋の扉が中から開かれた。
 ひょこりと顔を覗かせたのは青年だ。
 黒髪に、橙がかった黄色の瞳。日焼けして少し小麦色になっているが、おそらく元はラディと同じ白い肌なのだろう、と思わせるのは、その顔立ちが見慣れたものだったからだ。
 南方の顔立ちとは違う。
 彼はもしかしたら赤月近辺の出自なのかもしれない。
 それくらい馴染み深い顔立ちだった。
 思わずその顔を見て安堵の息を吐き出してしまうほどには。
「laks:w;.soc,o?」
「aslpf;.ejc@]:ds/kjmfkos.j!!」
 しかし青年の口から零れ出たのは、解読不可能な言語であり、ラディの方を指差して何事か捲くし立てる漁師風の男と、気軽に会話が成り立っている。
 もしかしてそうは見えないけどヤバイ職業の人たちなのかな、と今更ながらに若干の危機感を募らせるラディの耳に、ふいに聞き慣れた言語が飛び込んできた。
「ああなんだ、そうゆうこと」
「husjow,di」
「うん、分かったよ。わざわざありがとう」
 何事か納得した様子を見せた青年に、漁師風の男が笑顔で頷く。
 こちらに視線を落とした男は、笑顔でラディの頭を乱暴に撫でてから、あっさりと立ち去ってしまった。
「・・・は?」
 訳が分からない。
 目を白黒させながら、とりあえず乱されまくった髪の毛を整える。
 バンダナ取っておいて正解。
 手櫛で髪の毛を整えるラディの横で、くすくすと笑いが零れた。
 ちらりとそちらを見れば、青年が目元を和ませて笑っている。
「あ、ごめんね。 彼、かなりの子供好きで。年下に見える子を相手にすると、どうしても頭を撫でたくなるんだって」
「・・・そう、ですか」
 この年になってまで子供扱いされたとは遺憾だが、そんなことよりも今は、通じる会話に心の底から安堵した。
 なんとかなるだろう、と思っていた。
 どうにかしなければいけないし、と考えて。考えすぎて気を張り詰めすぎていたのだろうか。
 まさか、全く言葉の異なる町で、母国の言葉を聞いただけで安心するなど。
 ありえない。自分で出てきておいてホームシックか、と若干落ち込んだ。
「まあ立ち話も何だし。中へどうぞ?」
「え、あ、いや」
 漁師小屋に見えた小屋は、どうやら青年が使っているらしい。
 気楽な調子で中へと促されてから、ラディは自分が何をしにここへ連れて来られたのか分からなくて戸惑った。
 そんなラディの様子を見て、青年はきょとんと目を瞬いている。
「言葉が通じてそうにないからって、さっきの彼が君をここに連れて来たんだけど・・・分かってなかったよね、彼の言葉」
「・・・はい」
「ああ、そっか。ごめんね。 別に僕は怪しい人間じゃないから、安心していいよ。道に迷った憐れな少年を、取って食おうとか売り飛ばしてやろうとかって人種ではないから」
 笑顔でズバリと吐き出された言葉に、唖然とした。
 普通はもう少しやんわりと、遠回しに言ったりするものではないだろうか。
 しかし、あけすけすぎる言葉で逆に安心できることもある。
 今がまさにそんな感じだ。
 青年の穏やかな物腰も、それに説得力を与えているようで、ラディは促されるままに青年に続いて小屋の中へと足を進めた。




 青年は、キリルと名乗った。
 彼も本来は旅の身で、この町には時折訪れることがあり、その際に漁師小屋を借りているという。
 ちなみにこの小屋は、すでに引退した漁師が使用していたもので、普段はほぼ物置と化しているらしい。
「だからこんなに雑然としてるんだけど。ごめんね、汚くて」
「いや全然。大丈夫です」
 戦時中は野宿も当たり前だったラディにしてみれば、屋根があって雨風が凌げるだけで十分すぎる。
「いつもならもう少し整えるんだけど、何しろ僕もここに来たのが昨日だったから」
「そうなんですか」
「うん。久しぶりに群島の知人に会いに来たんだけど、残念ながら留守にしてて。しかもすぐに帰ってきそうにもない雰囲気だったっていうから、どうしようかと思ってとりあえずここで一泊して。で、この先の予定どうしようかなと考えてるところに、君が来た」
 にこりと微笑を向けられて、ラディも思わず微笑を返す。
 柔和な表情に穏やかな口調で喋る青年の空気に、ついつられてしまった。
「それで、ラディは船に乗りたいんだっけ?」
「あ、はい」
「行き先を言ってもらえれば、僕が手配しておくけど」
 好意で言ってくれているのは分かるが、何しろ実はラディには特に目的地がない。
 とりあえず船に乗れればいいかな、くらいの軽い気持ちでいたのだ。
 それに、この町で痛感した。
 群島諸国に渡ったとして、果たしてラディはこの先も旅を続けていけるのかと。あまりにも通じない言葉に、若干の危機感を覚えたのである。
「え、と・・・船には乗りたいんですけど。今すぐはちょっと見送ろうかな、とも思っていて」
 歯切れの悪いラディの言葉に首を傾げた青年は、すぐに納得したように頷いた。
「ああ、言葉か」
「・・・はい」
「大丈夫だよ、それは」
「は?」
 つい先刻、漁師の男と完全に会話が成り立っていなかったラディの状況を、この青年は忘れているのだろうか。
 思いっきり怪訝な顔をしたラディに、青年は苦笑を向けた。
「この町はね、訛りがひどいんだ」
「はい?」
「特に群島語でも、この辺りは古い言葉がまだ普通に使われててね。 南方の言語で知ってるものはある?」
「南方・・・ファレナのものなら、少し」
「だったら問題ないよ」
 にっこりと微笑って首肯してくれた青年を、ラディはぽかんと見上げるしかない。
 この町は訛りがひどいけど、ファレナの言葉が分かるなら群島でも問題ない、と。つまり青年が言いたいのはこういうことなのだろうか。
 同じ群島の言葉でも、そこまで極端に変わってしまうものか。
 ラディが怪訝に思っているのが分かったのだろう、青年は色彩の濃い黄色の瞳を細めて穏やかに微笑した。
「群島諸国に近いこの辺の陸地は、かつては大きな国があったんだけど」
 歴史書で読んだことがある。確か、クールーク皇国といったはずだ。
「その国が滅んで、この辺りは無名諸国扱いになった。海岸沿いの町は群島諸国連合が陸地との連絡に使うようになって、使用言語が混じっちゃったんだ」
「混じった?」
「群島の言葉と、クールークの言葉が。なまじ響きなんかが似てたから、容易に混じって独自の言語体系が出来上がって」
 結果、どちらの言語に統一することも出来なくなり、過去からの言語が伝わり使用され続けて、独特の訛りとなって残ってしまったらしい。
「さっきの彼も、普通に群島語を話せるんだけどね。出身は島の方だし」
 ラディをここに連れてきた漁師風の男のことだ。
「ここの訛りの方が喋りやすくて楽なんだって」
 肩を竦めて呆れたように苦笑する青年も、訛りの強い言語を普通に口にしていたが。
 そのあたりをやんわりと聞いてみると、穏やかな微笑が返ってきた。
「基本的には、旅の拠点をこの辺りにしてるから。なんだろう、もう慣れかな」
「そんなもの?」
「そんなものだよ」
 長く旅暮らしをしていると、色々あるようだ。
 初対面であまり突っ込んで聞くのも失礼だろう。
 ということはつまり、だ。
 今の青年の話が本当なら、群島諸国に渡っても大して問題はないかもしれない。自分のファレナ語に対する理解度がどれくらいかは、やはり身を持って確認しなけらばならないとしても。
 確か北大陸との玄関口と言われている島があったはずだ。
 そこからなら、群島諸国のどこの島にでも行けると聞いたことがある。
 じゃあまずはそこか、と遅ればせながら目的地を心に決めた。
「イルヤ島に」「イルヤ島かな」
 同じ島名を口にしたのは、ほぼ同時だった。
 思わずぽかんと相手の顔を見れば、やはり変わらずの穏やかな微笑。
 何を考えているか分からない、ある意味曲者の表情だ。
「だと思った。 じゃあ行こうか」
 そしてその表情のまま、青年はさっさと身支度を整え始める。
 よく分からない急な展開に、ラディは思考が追いつかない。
「・・・え?」
 戸惑いつつも青年に促されるまま動いて、気付けば船着場らしき場所まで手を引かれて移動していた。
 あまりのことにまだ思考は戻ってこない。
 これが人攫いだったら、ラディは今頃確実にどこかに売り飛ばされている。
「ラディ、こっち」
「あ、はい」
 ちょっと待ってて、と言ってどこかに消えていた青年は、先程ラディを案内してくれた漁師風の男を伴って再び現れた。
「見て分かる通り彼は漁師だけど、個人的に船頭もしてくれててね。しばらくは暇だからここの港からイルヤまで送ってくれるって」
「hjsiol!」
 先程と同じ満面の笑顔で声をかけられたが、やはりラディの耳には解読不能な言葉にしか聞こえない。
 これが群島語なのだとしたら、展望はかなり明るくない。が、
「違うよ。群島言葉にしてって言ったでしょ」
「あ、ソーカ。すんまセん」
 苦笑した青年の言葉に、バツが悪そうに頭をかいた男が発した言葉は、今度はちゃんと理解できた。
 語尾や細かい部分はまだ微妙に怪しいが、これが本当につい一瞬前まで解読不能な言語を操っていた男だとは思えない。
 訛りがひどいって、あまりにもひどすぎではなかろうか。
「だから、訛りがひどいんだよ。強いとかじゃなくてね」
「・・・なるほど」
 ぽかんとしていたラディの内心が分かったのか、青年が微苦笑で首を傾けた。
 彼の言葉はどちらかというと赤月寄りの発音だ。そこに少し群島の発音が混じっているような感じで。
 とりあえずは、とファレナ風の発音で頷いてみたラディの言葉に、漁師兼船頭の男が嬉しそうに目を丸くした。
「なンだぁ。話せるんじゃなイカ」
「君が最初にここの言葉で話すから悪いんだよ」
「通じるかト」
「この土地の人間以外に通じたことあった?」
「・・・ねエです」
 残念そうに肩を竦めてから、男は港の方へ歩き出した。
 その逞しい背を追いつつ、ラディはちらりと傍らの青年に目を向けて首を傾げた。
「あの、キリルさん?」
「ん?」
「えっと、その、あなたもイルヤに・・・?」
 当然のように隣を歩く青年は、小さな荷物を背負っている。
 まるでこのまま船に乗って移動するかの如く。
 戸惑って問うラディに、青年はにこりと微笑んだ。
「うん。同行しようかと思って。 迷惑?」
「いや全然。迷惑だなんて」
 逆にこちらの方が思ってしまう。
 彼には、この突然の船旅が迷惑なものではないのだろうかと。
「予定をどうしようかと思ってたところだって言ったでしょ。そこに、一人旅に慣れていなさそうな子供が来て、言葉も微妙な場所に行きたそうにしてるから、珍しくちょっとお節介してみたくなっちゃって」
 微笑んで向けられる言葉は柔らかい。
 おそらくここでラディが固辞すれば、彼はあっさり引いてくれそうだ。
「君が嫌だって言うなら、無理強いはしないよ」
「あ・・・」
 ちらりと右手に視線を落として、一瞬迷う。
 故郷を離れてから、一度の妙な出会いで妙な反応があったが、それ以来はすっかり落ち着いている。
 言葉の壁を考えれば、現地に詳しい同行者がいてくれた方が有難い。
「・・・助かります。ありがとうございます」
 ほんの一瞬逡巡してから頷いたラディに、青年も笑って頷いた。
「こちらこそ、ありがとう」
「?」
 礼を言われることをした覚えはない。
 思わず怪訝に首を傾げると、今の遣り取りを聞いていたらしい船頭の男が唐突に笑い声を上げた。
「キリルさんの親切が伝わタノ、初めてミた!」
「失礼な」
「よく怪しまれて終わテルからさ。やパその微妙な笑顔が怪しンダよな」
「・・・いくらなんでも酷いよ、それは」
 気にしているようだ。
 ラディも曲者の笑顔だと思ったことは、胸に秘めておこう。

「まあ、旅は道連れってやつかな。 よろしく、ラディ」
「あ、はい。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げたら、敬語はやめて、と苦笑されたので少し迷って言い直す。
「よろしく、キリルさん」
 返ってきたのは青年の苦笑と、船頭の豪快な爆笑だった。








南へ進むと、キリルルート(笑)
書いてみたら意外に坊とキリルさんの相性は良いんじゃないかと思った次第です。
2014.11.7


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