あのね、と伏し目がちに呟く親友は、その整った顔立ちのせいかやたら可憐に見えた。

「僕はテッドのこと好きだよ。・・・テッドは?」

 ある種特殊な体勢に置かれているこの状況で、どんな答えを期待されているのか。




 不覚にもさっぱり読み取れず、固まるしかないのだった。




  fool or ... ?



 つい一瞬前までは、
「春だねぇ」
「春だなぁ」
 と、将軍家の立派なお屋敷の親友の自室で、わりといつも通りののんびりとした会話を交わしていたはずだ。
 それなのに何故。
 いつの間にこんなことになったのか。
 ふいに黙り込んだ親友を怪訝に思って顔を覗き込んだのがいけなかったのだろうか。そんな馬鹿な。
 しかし現状は、これである。
 何がどうなっているかというと、まああれだ。
 一言で簡潔にまとめるとするなら、

 真顔の親友が腹に馬乗りになってきて寝台の上で膠着状態。

 押し倒されているとまではいかないが、極めてそれに近い状態であることは確かだ。
 どうしてこうなった!?と、苦笑する顔の下でテッドは大変混乱していた。
 何せ相手は親友だ。その上、ほぼ毎日棍を振り回している武人でもある。
 自分より若干細身で小柄でも、力は予想以上のものだった。
 つまり振り解けない。
 情けないことに、半ば押し倒されかけて初めて焦りを覚えたのだ。
 これはまずいんじゃないか、と。
 そこに追い討ちをかけるかの如くの、冒頭の発言である。
 深い意味がなくはないだろう。
 だがしかし。
 よく考えてもらいたい。
 自分も親友も、当たり前だが男同士だ。
 世間一般的に同性間での恋愛のアレコレはあまり歓迎されているものではない。
 もちろん世の中にはそんなことを物ともしない人間たちも存在するわけだが。
 悲しいかな、テッドは長年の放浪生活でそれなりに色々な人間を見てきている。
 確かにそういった、ある種特殊な人種というものは存在するが。
 だからと言ってそれが自分たちにも当てはまるかどうかは、切実に別問題だった。
「ラ、ラディ・・・!落ち着け。よく、よおぉぉぉっく、考えろ」
 頼むから考えてくれ。
 必死に懇願するテッドの上から、こげ茶色の瞳が真っ直ぐに向けられる。
「熟考の末の行動だよ、これは」
 完全に冷静な声音で零された呟きに、再度テッドは固まった。
 冗談を言っている感じではないが、今までまったくそんな素振りなどなかった。
 断言しよう。
 全くそういった素振りの一つもなかったのだ。
 だからこそ、この唐突すぎる行動にうろたえるしかない。
 本当の本気で言っているのか、こいつは。
 だとしたらどうしたらいいのだろう。
 応えてやるべきだろうか。
 だが残念ながらテッドは今の今まで、この親友をそういった対象として見たことは一度もない。
 断言しよう。(二度目)
 今まで一度も、目の前で俯く親友に、邪な感情を抱いたことはない。
 これからもきっとおそらく、ほぼ確実に、そんな想いを抱くことはないだろう。と、思う。
 人の心は移り気、という言葉が脳内に浮かんできたが、気付かなかったふりをする。
 友情と恋情は紙一重、という言葉も浮かんできたが、同じく気付かなかったことにした。
 ともかく膠着する親友との間の空気をどうにかしようと、テッドはフル加速で固まっていた思考を回転させる。
「あのな、ラディ。熟考って、本当の本当に本気で考えて言ってんのか?」
 どうにもまだ空回りな感じだが。
「・・・テッドは僕の言うことを疑うの?」
「んなことねーよ」
 反射的に口をついて出た言葉に、テッドは己の失態を悟る。
 今、自分は何を、否定した・・・?
 悲しげな声で俯いていた親友の顔が、満面の笑みで上げられているのを見れば、明白だった。
「そうだよね。 テッドも僕のこと、好き?」
 無邪気にそんなことまで聞いてくる始末である。
「い、いや。好き、かと言われると、嫌いではないが、決して、嫌いじゃないが・・・って、おいこらラディ。さらに体重をかけてくるんじゃない!」
「いいじゃないか、別に」
 重い、というこちらの抗議の一切を華麗に無視してくれたお坊ちゃんは、軽くそんなことを言いながら、よりにもよって必死に力を込めていたテッドの両腕を「えいっ」と払ってくれた。
 結果どうなるかといえば、必死に保っていた体勢を見事に崩されて、テッドはあっけなく寝台の布団の上に仰向けで倒れる形になった。
「っうわ!? ちょ、おい、ラディ!!いい加減に」
 しろ、と見上げた先のこげ茶の瞳に、予想以上に鋭く見下ろされていて、思わず息を呑む。
 猛禽類に捕らわれた小動物の気持ちというのが、こんな感じだろうか。
 場違いな思考が頭を過ぎる。
 いや違う。今はそんなことを呑気に考えてる場合じゃない。
 真顔でこちらを見下ろしてくる親友は、何を考えているのかさっぱり分からない。分からないが、このまま流れに身を任せてはならない状況だというのは分かる。
 しかし抵抗を試みようにも、いつの間にか両腕が相手の腕によってがっちりと拘束されていた。
 早業すぎる、とうっかり感心しかけたが、さすがに真上から親友の顔が迫ってきて思わず何も考えずに制止の声をあげた。
「うわー!待て待て待て待て待て待て待て!!」
「・・・・・・なんで?」
 くっつく寸前で止まった顔は、怪訝そうだ。
 そりゃ止めもするだろう。
「なんで、て。お前こそなんでいきなりこんなことになってんだ!?」
 思考が迷走しがちな少年だというのは知っているが、迷走した思考が暴走したことは一度もない。
「理由が必要?」
「あ、当たり前だろ!」
「僕はテッドが好きだって言った。・・・これ以上の理由が、必要なの?」
「・・・・・・・・・」
 思わず沈黙してしまった。
 その隙に再び顔が迫ってくる。今度は止める間もない。
 一気に詰められた距離に覚悟を決め、ギュッと固く目を閉じた。
 次にくるのは唇が当たる感触だろうか、と考えてその瞬間を待つが、何故か一向に先の動きがない。
 すぐ近くに顔がある気配はするのに、どうしたことか。
 さすがに冷静に考える気になってくれたのか。
 目を閉じたままぐるぐるとそんな思考を巡らせていたテッドの頬に、ふいに何か柔らかいものが当たってビクリと軽く身を竦ませた。
 当たった何かは、そのまま頬の上で小刻みに揺れている。
 さわさわと当たる感触に、これは髪の毛じゃないのか、と思い至りようやく薄く目を開けると、まず見えたのは見慣れた黒髪の頭だった。
 今にも完全にくっついてしまいそうだった顔は現在、テッドの首元あたりに埋められていて表情は見えない。
 だが、小刻みに揺れる髪の毛と、押さえられた腕から伝わる相手の微かな震えから、どうやら親友は笑っているか笑いを堪えているかのどちらかだと察してしまい、安堵と共に疲れた溜息を吐き出した。
「・・・ラディ」
 もちろん、こんな趣味の悪い悪戯を仕掛けてきた犯人の名前を呼ぶことも忘れない。
 くすくすとついに笑いを零した親友は、ゆっくりと顔を上げた。
 その表情は完全に悪戯を成功させたときの満面の笑みだった。
「テッドがあれだけうろたえてるのは初めて見たなぁ」
 悪びれもせずに笑顔でそんなことを言ってくる姿を見れば、怒る気も失せるというものだ。というか、怒るだけ無駄というやつだろう。
「お前・・・おれが抵抗せずに受け入れてたら、どうするつもりだったんだ」
「それはないなと思ったから実行したんだよ。当たり前でしょ」
「・・・・・・そうか」
「普段の態度見てれば分かるよ、さすがに。僕だって別にテッドを襲いたいなんて思ったことないしね」
「・・・・・・そうか」
 じゃあなんでこんなことしやがった、と聞いてみようと思ったが、どうせくだらない理由だろうと思い留まる。
「ねえ、テッド。今日が何の日か知ってる?」
「今日?」
 唐突な親友の発言に、思わず脳内で暦を思い浮かべたが、特にこれといった行事などはない普通の春の一日だったような気がする。
 首を傾げるだけのテッドを面白そうに見下ろして(いい加減この体勢をなんとかしてくれないだろうか)目の前で綺麗に整った顔がにっこりと笑った。

「えいぷりるふーる。 正々堂々と嘘をついてもいい日なんだよ」

 なんだそりゃ。が、まず第一の感想だった。
 だがそういえば、と気の長くなるほどの旅路の中で、確かにそんな日があるようなことを聞いたことがあったようなないような。
 そしてやはりその時も、自分は見事に引っかかったようなそうでないような・・・
 にこにこと無邪気な笑顔の親友を、呆れて見上げる。
「嘘つくのに正々堂々もクソもあるかよ。そんだけのためにあれだけ精巧な演技したのか、お前」
 どんだけ演技派だ、と心底から呆れるしかない。
 それだけ本気にしか見えなかったのだ。
「迫真の演技だったでしょ」
「お見事お見事。将来は演技派俳優にでもなるおつもりですか、坊ちゃん」
「なにそれ、嫌味?」
「嫌味? まさか!正直な感想だっての」
 鼻で笑ってやったら、目の前の親友は嫌そうに顔を顰めた。
 これくらいの逆襲は大目に見てほしい。
「騙されたのが悔しいからって、それはないんじゃないの?」
「いーだろ別に。 てゆーかそろそろ退けよ。重い」
「失礼な。僕はちゃんと毎日適度な運動適度な食事で、適正な体型を保ってるはずだよ」
「はいはい、そーですね。グレミオさんのおかげでな」
「まったくだよ。良い主夫がいて幸せだね」
 と、このあたりで部屋の外から微かに「坊ちゃん、テッドくん、おやつですよー」と呼ぶ声がして、テッドはラディと顔を見合わせて噴出した。
 ナイスタイミング、グレミオさん。
 笑いながら身体を起こしたラディは、さっさと寝台を降りて早くも部屋を出ようとしている。
 自分が押し倒した親友を助け起こそうという気遣いはできんのか。
 おやつに釣られるあたり、まだまだ子供だねぇ、と苦笑しながら身体を起こすと、扉の前に立つラディがぽつりと呟いた。


「でも僕は、テッドが受け入れてくれたらそれはそれで良いかなって、思ってもいたんだ」


 こちらに背を向けたまま零された言葉の内容を理解するまでに、少々の時間を要した。
 寝台に座ったまま固まるテッドにちらりと振り向いて、悪戯っぽく微笑したラディはそのまま部屋を出て行ってしまった。
 今の発言と、退室間際に見せた悪戯っぽい微笑。
 嘘をついても良いという、特殊な日。

 さて今のは嘘なのか真実なのか。

 階下から再び名前を呼ばれるまで、テッドは思わず本気で頭を抱えるのだった。








ふーるの日。
坊ちゃんが壊れたような気がしなくもないです。(言うことはそれだけか!?)
2014.4.1


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