迷いが無いといえば 嘘 になる
控えめに叩いた部屋の扉を自ら開く前に、先に中から開かれた。
そのことに内心で軽く瞠目しながら、マッシュは開いた扉の隙間からこちらを覗く部屋の主のこげ茶の瞳を見下ろす。
「・・・なんだマッシュか」
こちらから声をかける前に、入ればと主直々に部屋に招き入れられてしまえば、遠慮しますとは言い難い。
失礼しますと入室すると、室内には先客が一人。
「あれ、やっぱ軍師は素直に入れてやるんだ」
追い返された奴等かわいそー、と全く可哀想にも思っていなさそうに笑うのは、部屋の主と同年代の少年だった。
短く刈り込んだ金髪に、軽い言動。解放軍内の重鎮の嫡男という肩書きを持つ少年だが、普段の行動を見る限りあまりその自覚はなさそうである。
その証拠に、現に今もここは軍主の私室だというのに主以上にくつろぎきっている。
正直、意外な組み合わせにマッシュは内心密かに驚いた。
少しばかり生真面目すぎるところのある軍主が、この類の人間と部屋でくつろぐほどの親交を交わしているとは思いもしなかったので。
「悪いなマッシュ。そこらに適当に座ってくれて構わない。あと、そこのシーナは置物か何かだとでも思ってくれればいいから」
「置物とかって、しつれーだろお前それ! あ、なに、座る場所ないの?しょーがないな、ほら、空けてやるからここ座れよ、ラディ」
「嫌だね」
「即答!?」
「せっかくだからマッシュ、そこに座れば?」
「それはオレが嫌だからやめろって。なんでおっさんを隣に座らせなきゃなんないんだよ」
「その論理でいくと、俺が隣に座るのも正直微妙なんだろ」
「ラディがかわい〜娘さんだったら大歓迎なんだけど」
「残念ながら俺は生まれてこのかた男だった記憶しかないな」
「ほんと残念だよな、この顔で。もったいない」
「お褒めに預かり光栄だね」
「全然光栄だとか微塵も思ってないだろ、その顔は」
黙って見守ればするすると流れるように軽快な会話が交わされていく。
口を挟む間がない。
「あの、」
「「何?」」
なんとか声を出したマッシュに、同時に振り返る二人の少年。
息の合っている姿に心のどこかで安堵している自分を発見して、マッシュは苦笑した。
軍内の年長者たちに対して大人びた表情しか見せない軍主が、今は年相応の少年に見える。
「夜分も遅いのでまた出直して来ますというわけにはいきませんから、私は失礼いたします。大した用件でもないので、後日また」
退室しようと少年たちに背を向けた瞬間、背後から素っ頓狂な声が上がった。
「あああ!!今何時!?しまったぁ!!!」
「シーナうるさい」
「うるさいとか言ってる場合か!オレは酒場に行かなきゃならないんだよ!!」
「今から飲むのか?」
「飲むんじゃない!酒場のあの娘の上がり時間がそろそろなんだ!」
「・・・・・・・・・行けば?」
「行く!行くとも!! じゃあな!」
呆気に取られて固まるマッシュの真横を、軽快に金髪が通り過ぎていく。
ばたばたと賑やかな足音を残し、そして訪れた静寂に溜息を落としても許されよう。
しかしこうなると退室をしようにもしにくくなったマッシュが振り返ると、こげ茶の瞳を細めて苦笑する軍主の姿があった。
「座る?」
「・・・では、お言葉に甘えて少々」
実は本当に大した用件でもなく、むしろ用件と呼べるような用でもなかったのだが、
「それで大したことのない用件って、もしかして俺の様子を見にきたとか?」
その上、見事に言い当てられてしまえば軍師の立つ瀬がない。
思わず押し黙るマッシュに向けられるのは、どこか困ったような苦笑。
つい先程、「軍師は素直に入れるんだ」と言われていた。「追い返された奴等」がいるとも。つまり。
「私以外にも同じ用件でこちらを訪ねて来た者がいるということですね」
「まあな」
マッシュとしては特に声をかけようと部屋の近くまで来たわけではなかったのだが。
「明かりが漏れていたのでまだお休みになられていないのかと」
もしかして眠れないのではなかろうかと、つい心配になり思わず扉を叩いていた。
おそらく他の人間もそんな理由だったのだろう。
何しろ今は帝国五将軍の一人テオ・マクドールとの交戦の最中。初戦でのぶつかりに敗退したのは昨日のことだ。
そして彼に付き従ってきた家人の一人は、未だ戻ってこない。
「パーンの覚悟を」
ふいに呟かれた言葉に、軍主の顔を仰ぎ見る。
「否定したくなかった。例えそれで彼が命を落とすと分かっていても」
「ラディ殿」
「分かってる。まだパーンが死んだと決まったわけじゃない。けど、」
言葉に詰まる少年の姿にマッシュは何も言えなかった。
一軍を率いる軍主といえど、元はただの人間で、しかも彼はまだ少年と呼んでも差し支えのない年齢。
改めて彼に圧し掛かる責の重さを思い知る。
真の紋章の正体の分からない呪いに神経をすり減らされているはずだが、それを周囲の人間に悟らせないほどの精神力。
更に自分たちがこの少年に背負わせたものが、一体どれだけの苦痛を彼に与えているのだろう。
重苦しい沈黙の落ちた二人の間に、ふと小さな笑いが零れた。
辛そうに目を歪めて苦笑する少年の姿は、年相応とは言いがたい。
「一人でうじうじ悩んでいてもしょうがないからと、シーナが酒瓶片手に部屋に押しかけてきて」
「随分くつろいでいた様子でしたが・・・彼とは前から親交が?」
気になった点を尋ねてみただけだが、何故か軍主は目を丸くしてこちらを見た。
「結構前から飲み仲間だけど。とっくに気付かれてると思ってた」
「すみません。全く予想外の組み合わせでした」
「そう?」
「・・・あまり得意としない類の人間かと」
正直にそう零したマッシュに、目の前の少年は何度か瞬きをしてから苦笑した。
その表情がどこか寂しげに見えてふいに胸が痛む。
自分はこの少年のことを、あまりにも知らなさ過ぎるのだと。
「似てるんだ」
苦笑したままぽつりと落とされた呟きは、小さすぎて危うく聞き逃してしまうところだった。
「親友に。シーナの雰囲気が」
「・・・・・・・・・」
そうですか、とも何も言うことはできなかった。
いつだったかちらりと聞いたことのある「親友」の話。
軍主の持つ真の紋章は、元はその親友が持っていたものだと聞いた。
帝国から追われる身となった本当の理由も実はそこにあると。
それでも彼は親友を恨むことなく、おそらく捕らわれたのであろう相手の安否をずっと気にかけている。
「まあ、あいつはシーナみたいにフェミニストのナンパじゃなかったけど」
マッシュの沈黙など気にしないらしい軍主は、懐かしそうに苦笑して呟いた。
「能天気な奴ではあったんだ。いつも呑気そうに笑ってるくせに、いざとなったら誰よりも鋭く周囲の空気を読んでそれなりの対応をする。 そういうところも、似てる」
「もしや先程も?」
「そう。この場はマッシュに丸投げした方がいいと思ったんだろうな」
お節介な割りに厄介事からはなるべく遠ざかっていたいらしい、と苦笑した軍主は、おかしそうに笑う。
「しかも言い訳がお粗末だ。 シーナが今追いかけてるのは酒場の娘じゃなくて、道具屋の娘だから」
「はあ、そうなんですか」
「あ。俺がこのこと知ってるのは極秘な」
まだ本人から申告されてないから、と悪戯っ子のように笑う少年。
こんな顔もするのか、とマッシュは思わず瞠目する。
妙な情報網を張り巡らせている事実も発覚したわけだが、今のところ仕事に支障はないし本人も楽しそうなので、そこはあえて追及しなかった。
「・・・・・・父が連れてきたんだ。テッドを」
静かに漏らされた言葉に、軍主の顔を見る。
悪戯っぽく笑ったままの瞳の中に僅かな翳りを見つけて戸惑った。
果たしてこの先を聞いてしまっても良いものか。
「ラディ殿・・・」
軍主の名が、思わず口をついて出た。
続ける言葉に躊躇するマッシュに、目の前の少年はこげ茶色の瞳をひたりと向けてくる。
急かすでもなく遮るわけでもなく。
実は口下手で会話下手だという少年は、ただ、相手の言葉を待つ。
真っ直ぐに向けられるこげ茶の瞳の強さと、その中に時折垣間見える崩れてしまいそうな儚さ。
人は、彼のこのアンバランスな危うさに惹かれるのだろうか。
「テオ将軍との戦いに、やはり迷いがおありですね」
断言するマッシュの言葉に、こげ茶の瞳が一瞬揺れた。
咄嗟に口を開こうとして閉じた少年は、苦笑して微かに俯いた。
さらりと落ちた前髪が、少年の表情を隠す。
「迷い、なんか・・・ない・・・」
苦しげにそう吐き出した少年は、膝の上に乗せた両手を強く握り締めた。
ぎしり、と皮の手袋が小さな悲鳴を上げる。
「・・・と、言ったら嘘、かな」
か細く漏れた呟きは、頼りなく揺れていた。
「今も父を尊敬してる。父との戦いを回避できるものなら、どんなことだってしてやると思ったよ。でも・・・」
現実的には無理な話だった。
テオ・マクドール将軍は、現皇帝に堅い忠誠を誓っている。
かの将軍への説得が可能なら、おそらくこの軍主は衝突する前に何らかの措置をとろうと奔走したはずだ。
「戦場では一瞬の迷いが生死を分ける。分かってたのに・・・」
軍主として立って以来、これほどはっきり迷いを見せなかった少年が、初めて垣間見せる苦渋。
「僕のほんの一瞬の迷いのせいで、パーンを失うかもしれない。そんな事実に、今更気付いたって、」
「ラディ殿」
強い語調で少年の名を呼ぶ。
全て言わせてやった方が良いのかもしれない。
だが、あまりにも弱々しく吐き出される本音の後に、果たして彼は立ち直ることができるのだろうか。
一人称も戻ってしまっていることに、おそらく気付いてはいないほど追い詰められている少年。
普段は完璧に被っている軍主という仮面が、完全に剥がれてしまっていた。
揺れるこげ茶色の瞳は、迷子の子供のように頼りない。
それでも目尻に溜まった涙を零さないのは最後の意地か。
「パーンのことは信じて待ちましょう。我々はもうすでにテオ将軍との戦いを回避できない状況にいるのです」
冷静な声音で、冷静に現状の説明だけをする。
下手な慰めや励ましは、今の彼には逆効果になるだけだ。
「現状を打破する手立てはいまだにありませんが、明日の軍議で必ず見出します。 貴方は悩んでも良いのです」
「けど、」
「悩んで、そして迷いはなされませんよう」
何か言おうとした少年の言葉を遮り、ぴしゃりと冷徹なほどマッシュは言い切った。
こげ茶の瞳を歪ませて唇を噛む少年に、そっと言い添える。
「迷いを捨てろと言っているわけではありません。迷いは抱いていても良い。けれどその迷いを貴方に表に出されてしまうと、私たちは動くことができなくなる」
我ながら非情なことを言っている。
まだ二十歳にも満たない、己より一回り以上も年下の子供に。
それでもこの子供に未来を見たからこそ、マッシュは二度と関わらないと決めた戦場に戻ったのだ。
例えこの戦で己の身がどうなろうとも。
だからこそ彼にだけ責任の全てを押し付けるようなことはしない。
「貴方が決めたことに、私は全力で応えます。そのための軍師であり、貴方は軍主なのです」
真っ直ぐにこげ茶の瞳を覗き込む。
己がただ一人の主と定めたのは、目の前の少年。
彼が秘める可能性と強さに希望を見出し、賭けたのだ。
国の未来と己の命を。
この、ラディ・マクドールという少年に。
しばらく無言でマッシュを見つめ返していたこげ茶の瞳に、徐々に強い光が戻ってきた。
少年の顔を隠すように軍主の仮面を被る。
彼はいつからか、無意識にそうして軍主を演じるようになっていた。
「ああ・・・そうだな。 取り乱して悪かった」
「いいえ。たまにはラディ殿の弱った姿を見るのも、悪い気はしません」
「・・・趣味が悪いんだな」
「よく言われます」
にこりと冗談で切り返せば、呆れたように苦笑する軍主。
呆れて溜息を吐いた拍子に飲みかけの酒とグラスが目に入ったのだろう。
グラスを掲げ、酒瓶を傾けて笑う。
「せっかくだから飲んでいくか?」
「・・・・・・それでは一杯だけ」
頷いたマッシュに嬉しそうに笑った軍主は、グラスをこちらの手に押し付けて、自身は瓶に直接口をつけそのまま呷った。
まさかの瓶飲みにマッシュは己の目を疑いたくなる。
確か彼は帝国貴族の育ちではなかっただろうか。
驚くマッシュの姿に気付いたのか、瓶から口を離した軍主は少し拗ねたように唇を尖らせた。
「この飲み方が一番旨いんだってことに、最近気付いたんだよ」
「そうですか・・・」
お粗末な言い訳のようだが、事実旨そうに飲むのだから本当なのだろう。
そしておそらくこれほどの堂に入った飲み姿から察するに、彼は相当酒に強い。
軍主の意外な面のいくつかを垣間見ることが出来て、良かったのか悪かったのか。
兎にも角にも、マッシュが解放軍軍主ラディ・マクドールの弱音のような本音を聞けたのは、その時が最初であり最後でもあった。
シーナを絡ませるととんでもなく会話が多くなることに気が付きました。
そうして行数が増えていくんですよ…(笑)
2013.10.2
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