その町に立ち寄ってみようと思ったのは。
群 青 邂 逅 ・ 蒼
小さな町だった。
街道沿いにはあるけれど、あと半日ほど歩けば更に大きな街があるから行商も旅人も皆ほとんどがそちらに流れてゆく。
穏やかで静かな町。
夕暮れ時にその町に入った旅の青年は、ゆっくりと町の風景を見回して穏やかに微笑んだ。大きく賑わっている街よりも、彼はこれくらいの町の空気の方が好きだった。
人がちゃんと生活をしている感じがする。
町自体の規模こそ小さいが、街道沿いにあるという立地の良さが小さな町を活気付けている。国境近くということもあり、旅装の人間の姿もちらほらとあった。
極力、人目につくようなことは避けて通りたい青年にとって、こんな町の存在はありがたい。
旅慣れた空気を醸してはいるが、青年の外見は見ようによってはまだ少年の域にある。
旅人が珍しい町に迂闊に足を踏み入れてしまうと、それだけで無駄に好奇の視線を集めてしまうのだ。
暮らし慣れた土地を離れ、旅路についてから、もう何年になるだろう。
少なくとも常人の生きる時間以上の旅路を過ごし、故郷の海でしばしの休息をしていたところで、青年はひとつの戦乱の話を聞いて何故か普段は上げない腰を上げた。
戦乱中の国になど足を向けても何も良いことはない。
むしろ戦争には関わらずに生きようと決めて生きてきた。
なのに行ってみようと思ったのは、いつもは大して働かない勘が珍しく働いたような気がしたからか。
ともかく青年は海を離れて北大陸の土を踏んだ。
赤月帝国という巨大な国が内乱の末に倒れ、トラン共和国という新たな国が打ち立てられたのは、その直後のことだった。
++++
小さな町なりに、それなりの規模の酒場もあった。
というか、夜も更けてくると食堂などは閉まってしまい、空いている店が酒場しかなくなる。
やたら賑わっているのは、酒場がこの町で唯一ここしかないからだそうだ。
宿の空き部屋を捜し歩いていた青年が、陽が落ちてからやっと見つけられた宿屋で兼業しているのがその酒場だった。
最悪は野宿も覚悟していただけに、宿が確保できたのはありがたい。
季節柄、野宿でも平気な気候ではあるが、屋根の下で休めるのであればそれに越したことはない。
そういえば屋根の下に寝る場所があるというのに、時折なぜか海風の吹く外で寝ていた変わり者の偏屈な人間がいたな、と思い出し青年は内心で笑った。
遠い過去の一時期、多くの仲間と共に生活をしていた頃。
青年の人生を一変させるに至った道の中で出会った、孤独を背負い暗い目をした少年。
彼の背負っていたものが、長い年月を経た今なら少しは分かる。
早い段階で開き直った青年と違い、かの少年はそれほど楽観的にはなれずに苦しんでいた。
今もまだ、彼はあの頃と同じように頑なに他人を拒絶して独り、生きているのだろうか。
長らく思い描くこともなかった面影を、ふと思い出したのは何故か分からない。
簡単に再会できないであろうことは承知の上だ。
何しろお互いに旅暮らしの身で、お互い厄介なものを抱えて隠れるように生きている。
それでもいつか、生きてさえいればどこかでひょっこり再び会えることもあるはずの、唯一の相手。
歩くたびに癖のついた金茶の毛先がひょこひょこ跳ねていたのが、やけに印象に残っている。髪と同じ色合いの金茶の瞳は常に周囲を警戒深く見ていたけれど、ふとした拍子にやたらひょうきんな光を宿すこともあった。
きっと本来は底抜けに明るい性格をしているのではないかと疑ったのは、一度や二度ではない。
酒場の賑やかな喧噪も避けていたが、本当は違和感なく混ざれるのではないかと思ったことも、何度かある。
今度会うことがあったら、笑いながら酒を酌み交わしてみたい。
ちょうど青年が足を踏み入れた、この酒場のような場所で。
「あ。お客さんごめんなさい。今ちょっと満席で」
町の人間も多く出入りしているらしい。
ぱっと見、旅人よりも町人の姿の方が多く見られた。
「ところどころ空いているけど、相席は可能?」
「はい、それは。相手の了承を取っていただければ、大丈夫です」
時間的にちょうど忙しいところに来てしまったようだ。
忙しそうに立ち回る店員を横目に、青年はぐるりと店内を見回した。
一人客も何人かいる。
その辺りで相席をお願いすればいいだろうと視線を彷徨わせていた青年の目が、ふとある一点で止まった。
賑やかな空気の中、そこだけどことなく静かな空気が流れているような気がして。
こちらに背を向ける形で座っているので顔は見えない。
赤い胴着を着た黒髪の人物は、背中の雰囲気からしてまだ少年と呼べる年頃だろう。
若い旅人は珍しくはあるが、いないわけでもない。わけありは多いだろうが。
おそらくそのわけありの部類だろう。
あまり関わらないでいた方がいいかな、と少年の背から視線を逸らした瞬間、青年は左手にちくりと違和感を感じて目を見開いた。
思わずバッと再び視線を戻す。
黒い髪に、着古した赤い胴着。
その背中に見覚えはない。
だが、と微かな反応を示したばかりの左手を抱えて、青年はゆっくりとその少年に近付いてみた。
近付くにつれて違和感の正体がはっきりしてくるのに、正直戸惑わずにいられない。
違和感の正体は少年の右手。
まさかどうして、そんなはずない。
遠い記憶の中に残る、覚えのある気配。
気配に覚えはあるのに、その気配を持つ人間の姿に見覚えはなかった。
青を好んで着ていた弓使いの少年は、黒髪ではなく金茶の髪だったはずだ。
(何があったんだ・・・テッド)
若干迂闊な人間ではあったが、まさか迂闊なあまり右手のモノを奪われたということはない、と思いたい。
とりあえず確認がてら相席を頼んでみるか、と少年の背に声を掛ける。
「ここ、いいかな?」
声を掛けつつ、身体はすでに少年の正面の椅子に滑り込んでいた。
己の図太い行動に内心で苦笑し、パンを片手に動きを止めた少年の答えを待つ。
断られる可能性も考慮に入れ、その場合はまた違う手での接触を試みようと考えていると、ちらりと店内を一瞥した少年は諦めたように小さく嘆息してパンに齧りついた。
「えぇどうぞ・・・」
無表情で返された答えに、青年は軽く目を見開き何度か瞬いた。
てっきり無碍に断られると、無意識に思っていたらしい。
なるほど彼とはまた違うタイプなんだな、と思わず口端を上げる。
普段は思い出しもしない大昔の記憶が、鮮やかに脳裏に甦る。もうすでに大半はほとんど色褪せて薄れた記憶ばかりだが、それでもほんのいくつかはまだかろうじて鮮明に頭の中に残っているものもあった。
青年の記憶の中の“彼”は、常にどこか不機嫌そうな無気力な表情で周囲にいる人間と関わるのを極端に避けていた。
その割りに観察力は鋭く、時折ミスをして危険に晒されかける仲間をそれとなくカバーして危機から遠ざけてもいたのだ。
元来はお人好しの部類に入るらしい。
そんな彼の行動に気付いていた仲間の何人かは普段とのギャップを不思議がり、そして何故か構い倒した。スキンシップが足りないから付き合いが悪いのだと、かなり勝手な解釈のもとに。
結果として仲間たちのその余計な気遣いは、彼にとっては本当に余計でいい迷惑でしかなかったのだろう。
彼が右手に抱えるモノの呪いの真実を聞いたのは、戦争の終盤だった。
呪いの意味を聞いてやっと、彼の不可解な行動の理由がわかったくらいなのだから、何一つ真実を知ることのなかった仲間たちが、彼の行動を不思議に思ったままでいても仕方なかった。
終戦し、闇夜に紛れて姿を消して以降、青年を含め仲間たちの誰も、彼の姿を再び見ることはなかった。そして一人、おそらく彼に付いて行ったであろうと考えられる、彼と同じく弓使いの青年の姿も共に。
どうしているだろう、と彼らのことを気にしていたのも大分前のことだ。
何しろ気付けば百年以上前のことである。
あれからもうそんなに経つのか、と時間の流れに無情な思いを抱き、青年は正面に座る少年の顔をちらりと覗き見た。
俯いて何事か考え込んでいる少年の表情は見えない。
前髪に隠れた顔は先程少し見ただけだが、それだけでもやけに印象に残るほど綺麗な顔立ちをしていた。
これで一人旅では色々大変だろうな、とつい余計な心配が胸をよぎる。
見たところ完全に一人旅だ。連れがいそうな気配はない。
やはり同じく一人で暗い目をしていたかつての仲間の姿がそこに重なり、青年は思わず眉を顰めた。
少年と彼の間に、一体何があったのだろう。
「一人で旅をしているの?」
若干の詮索を、相手に悟られない程度に交えて口を開いた。
頬杖をつき微笑を浮かべ、こちらには含みはないと態度で示す。
これくらいならば旅人同士での日常的な会話だ。
詮索されたくない人間にとっては、それすらも迷惑にしかならないだろうが・・・
果たして少年からは言葉こそないものの、無表情で小さな頷きが返ってきた。
青年にとってそれはかなりの衝撃を伴った。なにしろかつての仲間から返される反応といえば、大概が嫌そうな横目だったのだから。
彼とはまともな会話が望めなかったが、もしかしたら目の前の少年となら少しは会話が成立するのではないかと思い、青年は破顔した。
「そう。おれも一人旅なんだ。ここには西の方から来たんだけど、これから北上しようかなと思って。あの辺、最近まであった戦争がついこの前終結したって聞いたから。君はこれからどこに?」
多少の偽りを交えて、そんなことを言う。
青年が来たのは西ではなく南方だ。これはどことなく出身地を隠したい人間にありがちの言動で、すでに身に染み付いた無意識から出た言葉だった。
だがどうやら少しばかり油断して言葉が直接すぎたらしい。
気付けば目の前の少年は怪訝な表情の中に警戒心を滲ませていた。
「あ、ごめん。別に深い意味はないよ。純粋な興味」
ね?と微笑しながら首を傾ける。
興味があるのは本当だが、どちらかといえば少年がここに至るまでに何があったのかを知りたい興味の方が大きかった。
怪訝そうにこちらの顔を覗いてくるこげ茶色の瞳。色彩こそ違えど、向けられる視線には覚えがある。
彼もよく、こちらの真意を図りかねて戸惑っていた。
特に深い意味もなく彼をからかって楽しんでいたことを思い出し、青年はふと芽生えた悪戯心を自覚する。
何も構えていない姿勢を崩さずに、こっそりと普段は隠している左手の気配を少しだけ流してみた。
まるで少年の外見からは想像もつかないほど、かつての仲間は魔力が高く紋章術に長けていたため、これくらいでもすぐに気が付いていたのだが。
比べているつもりはないが、やはり無意識にどこかで比べたがっている己がいた。
ガタンと椅子の立てた音に思わず内心で笑う。
どうやら目の前の少年も、それなりに気配には敏感らしい。
棒立ちの相手を見上げる。
こちらを見下ろす少年の表情は、驚くほど“彼”に似ていた。
「俺は確かに一人旅です。でも興味本位で他人の領域に足を踏み入れないで下さい。胸糞悪いです」
“彼”に似た表情で、“彼”とは全く異なる造作の顔で。
吐き出されたのは、綺麗な顔に似つかわしくないくらい乱暴な言葉であったが、まるで“彼”が吐きそうな言葉でもあった。
あまりにも不自然に“彼”と似ている少年に、思わずポカンと口を開けて呆気にとられる。
同じ紋章を宿しているからとて、ここまで似すぎているのはどうしたことか。
逃げるように席を離れていった少年の後を追いかけることはせず、青年は呆然と座ったまま考え込んだ。
ここから更に北へ進んだ先に、つい最近まで内乱で荒れていた国がある。
トラン共和国と名を変えた国での戦乱の話を聞いて、青年は普段は上げようとも思わない腰を上げて北大陸へと上陸した。
言語にはあまり詳しくないが、よく聞けば少年の言葉には多少の赤月訛りが混じっていた気がする。
少年の右手に宿っているものは、真の紋章。
青年は知っている。
国を揺るがすほどの戦乱には、真の紋章が関わっている場合があることを。
この小さな町に至るまでの旅路で聞いた赤月帝国での内乱の話を思い返す。
赤月帝国の腐敗しきった内政を憂い立ち上がり、内乱を見事に収めた「英雄」は、十代の少年であったという。
おそらく、あの少年がその「英雄」だ。
根拠はない。ただの勘だが、青年にはその勘が正しい自信がある。
彼と同じく、真の紋章の継承者としての勘。
「テッドは・・・あの子に紋章を託したのかな」
そこにも根拠はない。
だが、あの少年の様子からして、奪い取った紋章ということはなさそうだ。
かつて聞かされた、かの紋章の特性を思い出し、どこか暗澹たる思いで少年の立ち去っていった方に目を向ける。
紋章は人に優しくない。
頬杖をついたまま、青年は膝の上に置いた左手を強く握り締めた。
++++
翌朝。
ストーカーよろしく少年の泊まっている部屋の前で待ち伏せを仕掛けた青年は、扉を開けた途端に嫌そうな顔を隠しもしない少年の表情を見て、あやうく噴出しかけた。
(テッドとまるで同じ顔。 アルドの気持ちがちょっとわかるなぁ)
かつて彼に付き纏っていた弓使いの青年も、嫌そうな顔をされ続け、めげずに付き纏っていたのだ。
気分は変態のストーカー、となんだかよく分からない具合に楽しくなってきた青年は、まるでつれない少年にめげることなく、様々な角度から口説き文句を連発してみる。
「怪しいものじゃないよ?実を言うとね、君が知り合いに似ててちょっと気になったんだ」
ついには本音で勝負をかける。
お話しない?と可愛く誘いをかけてみたが、どこか辛そうに顔を歪めて放たれた少年の言葉に、青年は思わず固まった。
「俺はあなたに用なんかないです。俺に構わないで下さい」
不覚にも固まった隙に脇をすり抜けて逃げられる。
おれに構うな、とかつての“彼”も何度も同じことを言っていた。
常套句まで彼と同じなのか。
だけど、そう言い放った瞬間の少年の辛そうな顔は・・・
「構いたく、なるなぁ」
テッドとは違う意味で、と思わず漏らした呟きはどうやら本心だ。
まだ自分にもそんなことが想える心が残ってたんだな、とどこか他人事のように思い、青年は蒼い瞳をゆるやかに細めて微笑む。
次はどんなアプローチでいこうかな、と新たに出来た楽しみに考えを馳せながら。
気分は変質者らしいです(笑)
(突っ込みたいのはそこだけか!?)
2013.8.3
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