―――― 海を見たことあるか?



  思い出されたのは、親友のそんな一言。






  群 青 邂 逅



 小さな町だった。
 街道沿いにはあるけれど、あと半日ほど先に歩いて行けば大きな街があるから行商も旅人も皆ほとんどがそちらに流れてゆく。
 穏やかで静かな町。
 それでも街道沿いなので、収入に困るということはないらしく、町全体が質素ながらしっかりとした造りの建物がほとんどで、正直、人目を避けたい人間にとってはこれ以上にないくらい好条件の町だ。

 元赤月帝国、過酷な内乱を経てトラン共和国となった国を南へ抜けて少しという立地。

 もうさすがに追手はないだろうとは思うが、国内でしつこく追手を差し向けていた人物の粘り強さというかなんというか・・・は自分が一番理解している。戦時下では大いなる力になったそれも、平和な世になってしまえばなんのその。
 悪いがはっきり言わせてもらうと

 うざい。

 この一言で片が付く。
 何も言わずに姿を消したのは事実だ。
 でも悪いとは思わない。少しも。
 責任?
 そんなもの、とっくに果たし終えた。
 自分が負った責は、腐った国を叩き潰すこと。
 正直、守るもののなくなった国に愛着を持てるほど、人間が出来てはいない。
 あとは自分の邪魔をするものには容赦をしないと決めたので、全ての追手に情け容赦ない仕打ちをしてとりあえず生きて返しはしたが、その辺の意図が伝わっているかどうかは、いまいち自信がない。
 追手が続いていたという時点で、伝わっていなかったのは確実かもしれないが。
 国境を越えてしまってから追撃がパタリとなくなったのは、単純に考えて、外交問題だろう。
 諦めたとは思えない。諦めてほしいところだが。
 というわけで、まだ国境に近いこともあり、一応の変装を試みる。
 変装といっても、明確な目印になるバンダナを荷物の中に引っ込めただけ。
 棍はどうしようもない。なるべく、マントで隠れるように努めるくらいだ。
 そもそもバンダナは、昔、育て親代わりの青年がちょこまかと動き回る子供をすぐに見つけられるようにと用意したものなのだから、目印になって当然。
 黒髪の少年など、どこにでも生息する。
 群集に紛れてしまえば、誰にも見つからない。
「・・・・・・・・・」
 郷愁は、驚くほどない。
 存外薄情だったのだな、と苦笑して宿屋の扉をくぐる。
「一人なのですが、一晩部屋はありますか?」




 旅をしよう。


 彼の見てきたであろう景色、まだ見ぬ景色を、余すことなく見て回ろう。

 右手と、共に。



++++

 小さな町ではあるが、人口はそれなりにあるらしく、町に唯一の酒場は夜の盛りになればそこそこ騒がしくなった。
 宿屋が兼業で運営しているために、食事を取ろうと思うとどうしても酒場に出て来るしかない。
 それくらいは大丈夫だろう、それなりに。
 万一酔っ払いに絡まれたとしても、軽く受け流せる自信はある。
 旅人は珍しくないらしい町民客は、今のところこちらを気にする素振りもない。
 このまま一晩やり過ごせば、明日は更に国境から離れられる。
 順調順調と呟いて、パンに手を伸ばすのと同時に人の気配。
「ここ、いいかな?」
 言いながらすでに正面の椅子に座っていたのは、自分と同じく旅人らしき人間。
 店内を見渡してみると、気が付けばほぼ満席だった。
 これは仕方がない。
「えぇどうぞ・・・」
 パンを齧りながら、無表情で答える。
 出来ることならばまだあまり、人と接することはしたくなかった。
 旅や野外生活は嫌というほど経験したが、一人旅は初めてで、やってみるとこれが案外勝手がつかめない。
 ただそちらは追々慣れていけば良いとして、問題は右手。
 他人と取るべき距離を、測りかねている。
 完全に人との関わりを絶てれば何の心配もないのだが、残念ながらそこまで達観できるほど自分は強くはない。
 前の宿主であり親友であった少年は、どうやら長年の経験と高い魔力でもって右手の食欲を抑え付けていたようだった。その証拠は、三年の間隣にいた自分が生きてここにいることだろう。多分。
 思い返してみれば、時折、苦いものを飲み下したような顔をして右手を握り込んでいることがあった。
 右手には酷い火傷の跡があるからという言葉を信じて。
 時々古傷が疼くだけで痛いわけじゃないからという言葉を信じて。
 呑気にしていた自分の隣で、彼は必死だったのだ。
 傍らのちっぽけな命をひとつ、守るために。
 例えばその時に、無理矢理にでも全てを吐かせていたら、巡る未来は変わっていたのだろうか。
 そんなこと考えても、仕方のない、ことだけど・・・

「一人で旅をしているの?」

 ふと声をかけられて顔を上げると、正面に座った人物が微笑を浮かべて頬杖をついていた。
 落ち着いた口調だが少し高い声の青年、というよりはまだ少年と呼べるほどの顔に向けて、口の中のものを飲み込みながら、とりあえず頷いてみる。
 多少のコミュニケーションはした方が余計な印象を残さずに済むだろうという目論みで。
 それを見た少年は何故か嬉しそうに破顔した。
「そう。おれも一人旅なんだ。ここには西の方から来たんだけど、これから北上しようかなと思って。あの辺、最近まであった戦争がついこの前終結したって聞いたから。君はこれからどこに?」
「・・・・・・・・・」
 旅をしているというのなら、これくらいの会話は社交辞令のうちであって、決して詮索とかそんな深い意味はないのは分かる。
 分かるが、何かが引っかかる。
「あ、ごめん。別に深い意味はないよ。純粋な興味」
 ね?と首を傾げた少年の肩先で、不揃いに切られた薄茶色の髪の毛が揺れた。
 一人旅だと言っていたが、外見的にはラディと同じか少し上くらいだろう。
 精悍とまではいかないがそれなりに凛々しく整った造作の顔。
 目元も口元も穏やかに緩んでいるが、纏う雰囲気には隙がない。
 だが何よりも視線が吸い寄せられたのは、瞳。
 真っ青に透き通った色合いに、心惹かれる。
 その青に、唐突に思い出す親友の言葉。

 ―――― 海を見たことあるか?

 地平線の向こうまで見渡せるくらい辺り一面の蒼。
 視界を遮るものはなんにもなくて。
 そのままどこまででも行けそうな錯覚に陥る。
 耳に響く穏やかな潮騒と海鳥の声。
 天も地も、真っ青な世界。

 いつか親友が語ってくれた青の世界は、どれも綺麗で印象的だった。
(・・・・・・っ?)
 チリ・・・と微かな違和感が右手に走る。
 これはまずい兆候なのじゃなかろうか、と思い、ふと下げた視線が目の前に置かれた少年の手に釘付けになって固まった。
 指先が出る型の手袋を嵌めている。
 それはさして珍しくはないし、問題でもない。
 肝心なのは、手袋のその中身。
 独特の気配が滲み出ている。
 これで隠しているつもりなのか、それとも隠す気がないのか。
 明らかに垂れ流されている気配に、ガタンと音を立てて思わず立ち上がる。
 動揺を表に出すほど間抜けではないが、取り繕う余裕まではない。
 無表情に見つめたままの視線の先にいる少年は、どこか面白そうにこちらを眺めていた。

「俺は確かに一人旅です。でも興味本位で他人の領域に足を踏み入れないで下さい。胸糞悪いです」

 口の悪さは親友譲りだ。
 悪いのはあいつだと無駄な責任転嫁をして、目の前の少年をちらりと一瞥する。
 案の定、ポカンと目を見開いて呆気に取られたような顔で固まっている。
 すみません、と内心で謝っておいてそのまま席を離れた。
 食事は終わっているので問題ない。流れ的にも不自然ではない。
 何故か走って逃げ出してしまいたい衝動に駆られたが、理性を総動員して抑えつける。
 よく分からない情動に支配されながらも、何とか宿屋の一室に転がり込んだ。

 右手が熱い。

 こんな時は不安で仕方なくなるのに、今日はどうしようもなく、泣きたくなった。
 何故だろう・・・
 あの旅人の持つモノに反応したのだろうか。
 でも、同じモノを持つ風使いの少年と居た時には感じたことのない感覚だ。
 だったら何だというのだ。
 あの旅人自身に紋章が反応したとでも?
 それはつまるところ、彼に親しみを抱いたと・・・初対面で・・・?
 ありえない。
 自分のどうしようもない人見知り癖は、大勢の仲間たちに囲まれていた間にも結局、改善の兆しを見せてくれなかったのだ。
 そんな性格で初対面の、よく知りもしない人間相手にいきなり親しみを抱くなんてことがあるわけがない。
 じゃあどうしてだ・・・
 思考が無限ループにでも陥ったかのようだった。
 右手が熱い。
 泣きたい。
 分からない。

 懐かしい・・・・・・ ?



 ―――― よかった・・・



「・・・・・・?」
 よかった?
 なにが?
 初対面のはずだ。
 だけど、心のどこかで泣きたいくらい懐かしく感じているものがあり。
 動揺する感情の中に、ひどく安堵している感情もある。
「・・・・・・あ?」
 ポロリと一粒。
 こぼれた雫が頬を伝う感触に、戸惑う。
 何がなんだかさっぱりだ。
 紋章どころか、感情のコントロールも今後の課題ということか。
「わけ、わからん・・・どうゆーこと・・・たすけろよぉ、テッドのばかやろー・・・」
 情緒不安定にも程がある。
 この先ずっとこんな感じだとかいうのは勘弁してほしい。
 混乱する感情を持て余して、寝台の上で丸くなる。



 耳の奥で、聞いたことのない潮騒が優しく響いた気がした ――――



++++

 翌朝。
 昨夜の情緒不安定を引き摺る感じはなかったが、微妙に頭が痛い。
 泣きながら寝るなんてことをしたのは、いつぶりだと思ったが、よく分からない不可抗力の結果だと自分を誤魔化すことにした。
 朝食は簡単なものを包んでもらうことにして、荷物を整えて部屋を出る。

「やあ、おはよう」

 ・・・・・・・・・・・・カチャリ。

 開けたばかりの扉を再び閉めた。
 何かがいた気がする。部屋の前に。
 顔は爽やかに笑っていたが、何故そこにいる。
 幻覚?幻覚か?
 朝からそんなものが見えるなんて、実はそんなに疲れていたのだろうか。
 そろり、と恐る恐る扉を開ける。いる。
 青い瞳を持つ少年が、何故か満面の笑顔で部屋の前に立っていた。
 いっそ幻覚の方がまだ良かった・・・
「・・・何か用ですか」
 地の底を這っているかのような声が出たが、構わない。むしろ良し。
 しかし爽やか笑顔の少年にめげた様子はない。
「うん?あぁ朝食を一緒にどうかな。昨夜はどうもおれがいけなかったのかな?と思って。お詫びにと言ってはなんだけど、奢るよ?」
 昨夜のあれは、どう見ても非があるのはこちらだったと思うが。
「人見知りするタイプなのかな?だいじょーぶ、おれはただの気ままな旅人さんだから」
「・・・・・・別に、そこまで気を遣っていただかなくて結構です。気ままに一人で朝食でもなんでも食っててください」
 俺はここらで失礼します、と呟いて少年の横をすり抜けようとすれば
「怪しいものじゃないよ?実を言うとね、君が知り合いに似ててちょっと気になったんだ」
 お話しない?と首を傾げて言われた言葉には、拒絶を返すしかなかった。
「俺はあなたに用なんかないです。俺に構わないで下さい」
 今度こそ少年の横をすり抜けて走る。
 すれ違い様に横目で見た少年の顔はポカンと間抜け面で固まっていた。
 知り合いに似てるからだなんて理由で付き纏われたら堪ったもんじゃない。
 人見知りするってのはやはり分かりやすいんだろうか。
 これも課題か・・・

 階段を駆け下りる直前に、背後で彼が何か呟いた気がしたが、聞き取るつもりも振り返って聞き返すつもりもなかった。








坊に「俺に構うな」を言わせてみたかったのです(笑)
青瞳の不審な(笑)少年がよく分からない性格に・・・あれ?
2010.7.15


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